タラナキ戦争の有名な跡地、テ・ングツ・オ・テ・マツを訪れる

 タラナキ戦争についてはまた書くことになるだろうけれど、ワイカト戦争と同様に、タラナキ山周辺は、マオリとパケハの戦場の跡地があちこちにある。
 テアワムツの博物館で知ったフォレストレインジャーのグスタブス=ヴォン=テンプスキー(Gustavus von Tempsky)も、タラナキ戦争で、この地でマオリに殺されている。
 これは、フェザーストンにある日本人捕虜収容所での発砲事件を私に教えてくれたパエカカリキの仮の住人、ジェフが言っていたのだが、彼によればヴォン=テンプスキーはマオリにやられたって仕方がないと言っていた。なにしろ、交渉なしの問答無用で、銃でマオリを射殺したのだから、自業自得と言うべきものだと*1
 テ・ングツ・オ・テ・マツ*2と呼ばれるその地に、タラナキで高校教師をしているジェフは生徒をフィールドワークに連れてきて話をすることがあるという。ジェフが、ニュージーランド戦争で有名な歴史的跡地に私を連れていってくれた。
 その場に行くと、子どもの遊び道具も置いてある、管理人のいない静かなキャンプ地に現在はなっていた。
 説明書きがあるので、以下、訳してみる。

 テ・ングツ・オ・テ・マツ

 この地は、1868年、マオリのトハンガ*3(tohunga)で兵士のチーフであったティトコワル(Titokowaru)の司令部のあった要塞化した村、テ・ングツ・オ・テ・マツの跡地である。1868年8月21日、この地は、マクダネル(McDonnell)中佐*4の率いる植民地軍によって攻撃され、部分的に破壊された。ヨーロッパ軍とマオリ軍の混成部隊によって9月7日におこなわれた次の攻撃は、防衛側の決定的な勝利となった。攻撃軍の三つの部隊のうちのひとつを率いていた武装警察隊のヴォン=テンプスキーも、この闘いで殺された一人である。

Te Ngutu o te Manu

This domain marks the loyalty of the fortified village Te Ngutu o te Manu which in 1868 was the headquarters of the Maori tohunga and warrior chief Titokowaru. On 21 August 1868 it was attacked and partially destroyed by colonial forces commanded by Lieutenant Colonel McDonnell. A second assault made on 7 September by a combined European and Maori force, resulted in a decisive victory for the defenders. Among those killed on this occasion was Inspector von Tempsky of the Armed Constabulary who led one of the three detachments of the attacking forces.

 十字架が建てられているのだが、この説明では、8月20日の夜と、8月21日の朝、そして9月7日に攻撃がおこなわれたとある。
 あのヴォン=テンプスキーの名前も、MAJOR VON TEMPSKYとして9月7日に、マオリとの闘いがもとで倒れたと記述されている。
 このパークの隅の方にひっそりと、1868年に起こったこのテ・ングツ・オ・テ・マツの闘いの100周年記念として、碑が建てられ、植樹がされていたが、その碑には、1868-1968と刻まれていた。
 マイケル=キングの「ニュージーランドの歴史」によれば、ニュージーランド戦争で名前をはせたヴォン=テンプスキーは、当時すでに派手なヒーローとなっていたから、彼の死は、かなりのショックを与えたという。
 そのヴォン=テンプスキーがマオリの抵抗戦争にやられた、今はただのキャンプ地になっている跡地に立ちながら、まさに新しい視点から子どもたちにニュージーランドの歴史を説明をしているジェフの姿を私は想像していた。

*1:私の観察では、60歳代のこのジェフは、とりわけ政治的に意識的なリベラルというようなタイプではない。彼は、ウエリントン郊外の自然の中で育った自然児とも言うべきようなタイプである。けれども、彼の政治的な公平感は、おそらく日本のレベルよりも高いと思う。

*2:テ・ングツ・オ・テ・マツとは、マオリ語でThe beak of the birdという意味で、「鳥のくちばし」という意。

*3:トハンガは、英語ならspiritual guideというほどの意味になる。

*4:Lieutenant Colonelをここでは「中佐」と訳したが、軍隊の階層を訳すのはむずかしく、「中佐」が適訳なのか、自信がない。