日本の富士山なら五合目といったところだろうか、車でタラナキ山のナショナルパークに行くためのドライブとなった。
アイルランドに行くと、ドラムリンという小山がある。このドラムリンはたしか氷河によってつくられたはずだが、そのドラムリンのように、タラナキ山の周辺の平野には小山が多い。日本でいえば、小高く盛りつけた土塁や古墳のように、タラナキ山とタスマン海との間の平野に、黄緑色した小山がところどころに見える。
ジェフの説明によると、タラナキ山のいわば土砂崩れと言うべきもので、こうした小山を自然の砦として利用して、マオリはあちこちに砦や村を建てたという。
エグモント岬の灯台の近くに、パリハカ(Parihaka)というマオリの村がある*1。ここは、テ・フィティ(Te Whiti)やトフ(Tohu)といった重要なマオリの人物がいたことで有名な村だ。彼らは、タラナキ戦争後の土地没収ののちに、平和的な抗議行動を組織したのである*2。
フィティの精神は今もパリハカで生き続けていて、毎年パリハカで集会がある。
タラナキ周辺は、また火山の噴火による灰が降り積もった場所である。タラナキ山周辺は、平野なので、白人がこうした土地を欲しがったとジェフが説明してくれた。
*1:100%Pure New Zealand.comのサイトに、「タラナキ地方の人里離れた田舎にあるパリハカ(Parihaka)は小さな入植地ですが、非常に歴史的、文化的に重要な場所です。1870年代当時、この地域には、土地の没収と植民地化への反抗を促したリーダーのテ・フィティとトフが住んでいた、最大のマオリの村がありました。1881年にテ・フィティとトフは逮捕され、パリハカは植民地政府軍により没収されました。これは、ニュージーランド史上最悪の人権侵害のひとつといわれています。こうしてパリハカの住民はインドのガンジーにも先駆ける世界初の無抵抗非服従による植民地抵抗運動を行ったのでした」とある。