自分の授業がこれまで言語指導に傾斜していた理由

 言語学習と言語活動学習の両方が重要であることをこの間ずっと書いてきた。
 高校時代の英語授業では言語学習を中心におこない、言語活動学習については自主的に学んできた私は、言語活動学習の重要性も自覚しているし、言語学習と言語活動学習の両方が重要であることを認識している。
 それでは、英語教師になってからの私が言語活動指導をおこなってきたかといえば、否である。それは何故なのか。
 ひとつは、やはり英語は私にとって母語ではないということであろう。さらに大きな理由は、日本においては英語は生活言語になっていないということに尽きるだろう。
 二つには、言語活動の指導方法を学んでこなかったということだろう。高校時代の恩師は言語指導、すなわち語彙指導と文法指導に優れた教師だった。教師というものは、無自覚でいれば、自分が習った枠組みで教えるものなのだ。
 三つには、言語指導も、奥が深く、教えることはたくさんあるし、それなりに面白いということであろう。
 ただ、教科書は原典主義から、軽いものに変わってきているし、英語教育の目的も変わってきている。一言でいえば、インプットからアウトプットの時代である。当然のことながら、生徒も変わってきている。レクチャー主体の授業では眠たくなってしまう。