メルボルン出身の夫婦と夕食を共にする

 資料室で、ロンとバーバラにまた再会した。一緒に食事を取らないかと誘われる。これは嬉しい申し出だ。
 食事をしながら、教師どうしでもあるので、いろいろな話題を話し合った。前にも書いたように、ロンは体育の教師だったが、教師として仕事をしながら、メルボルン大学に3年通って、資格を取ったという努力家だ。家族の支えもあったという。最後は、工業高校の校長にまでなった人である。55歳のときにリタイヤして、今は身体に障害を抱える人たちにリハビリ的なガーデニングを指導しているという。全く別の仕事をしているが、大いに満足だといった。
 自分は体育の教師だったが、息子は音楽の方に関心があり、得意になったようだ。「体育の教師なら、音楽の方に興味があった息子というのはがっかりしたんじゃないの」と私が聞くと、そんなこともなかったと言う。学校でなかなか自分を確立できなかったが、友達に恵まれて得意分野を発見することができたから、息子は幸運だったとバーバラが言った。
 ロンは自分の自叙伝を自らワープロで書いて、それを家庭内で出版したらしいのだが、そのタイトルには、「幸運な男」という意味を入れたという。すると、ある親戚に、幸運ということもあるかもしれないが、自分の努力ということもあるんじゃないかと指摘されてタイトルを変えた方がいいと言われたらしい。内容はよくわからないが、やはり自分の努力ということもあっただろうと思った私は、その親戚方の主張に一理あるんじゃないかと言うと、ロンはスコットランド(Scotland)からオーストラリアに移民してきた自分史を語り始めた。12歳のときにすでに働きに出なければいけない時に、ある教師が学校に残って手伝わないかと言われたそうだ。それが自分にとっての転機だったのではないかとロンは言う。その後の人生でも、いろいろな人とのつながりの中で転機があったそうだ。その意味では、自分は幸運な男だったのだと、彼は自分の意見を曲げなかった。
 日本人の女の子が彼らの家にホームスティすると、将来の理想の旦那さんの話になることがあるという。すると、日本の女の子たちは、結婚するならロンのような旦那さんがいいと全員が言うらしい。旦那の人気は絶大だという。これをバーバラが話すのだから、いい話である。ロンは笑いながら黙っている。何でそんなに人気があるのと聞くと、いつも自分を支えてくれるからだとバーバラは答えた。また、奥さんのいる日本人男性も日本に奥さんを残して滞在したことがあったが、そうした男性には、帰国したら、もっと奥さんを大事にしたいと告白する男性が多かったという。これも家庭で支えるロンを見た影響だとのことだ。
 それほど仲のいい夫婦はどうやってお互いに知り合ったのと聞くと、奥さんが生徒だったという。なるほど、教師と生徒という、これはよくある古典的パターンらしい。ところで、ロンは料理をするのかと聞くと、料理は苦手だという。私は、料理はやっておいた方がいいよとロンにすすめた。奥さんに頼ってばかりで料理ができないなんて、奥さんに何かあったら困るじゃないのと私が言うと、ロンは笑っていた。
 さらに、日本の夫婦のあり方、日本人の生き方について話は続いたが、そろそろ大救出劇のスライドショーが始まる時間だ。8時15分からオライリーのスライドショーを見る予定だと私が言うと、彼らもスライドショーを見るつもりだと言うので、一緒に会場に行くことにした。会場でロンと私とで一緒に座りながら、キリスト教徒としてのボランティア活動として、仲間と一緒にパプアニューギニアで建物を建てたことがあるとロンが言った。バーバラは食事係として貢献したという。ロンはこの活動は楽しく得がたい経験だったというが、バーバラは食事係としてどんな気持ちだったのと私が聞くと、ちょうどバーバラが入ってきた。何を話していたかバーバラに話すと、ああその話とバーバラは笑った。