マオリ語初級講座も始まる

マオリ語の辞書と教科書

 もうすでに昨日のことだが、マオリ語の初級の講座も始まった。マオリ語を初めて習うわけだが、久しぶりの習い事という感じだ。ときに教員は新しい事を学んだ方がいいというのが私の持論だが、そういう立場に自分を置くと、ますます「できない奴」の気持ちに共感できるし、困ったときに助けてくれるという「受け皿」があることに感動すら覚える。マオリ語の講師が「困ったら、ここに来なさい」とか、「私は、何曜日の何時だったら、教員室にいるから、遠慮なく話をしに来なさい」とか、レクチャー以外にもチュートリアルといって、個別に質問することができたり、ラボの時間も決められている。私はいつも思うのだが、英語圏では、困った人に対してヘルプをするという思想が徹底している。この点、日本は想像以上に、ちょっと不親切だ。
 受講生は、ヨーロッパ系が若干いて、日本人は私を入れて二人*1。全部で16人くらいだろうか。マオリの人たちが予想以上に多い。早速知り合いになった隣に座っているホアニ(仮名)もマオリで、私の発音を私の気持ちを傷つけないように優しく直してくれた。
 授業の最初と、最後に、「祈り」ということで、カラキア(karakiya)という「お祈り」を毎回する。意味が全くわからないけれど、このカラキアを私も復唱した。
 意味のわからないものを復唱するということは、想像以上に意味がある。聞いた話では、コーランなども、意味がわからずに復唱し、復唱することによって理解に通じる場合もあるらしい。これは日常的にも納得できる話ではないだろうか。私も意味もわからずにマオリのカラキアを復唱したが、勘違いかもしれないが、なんだか近い将来理解できるような気がした。ペアでの練習もあり、私は隣のマオリの大男ホアニと練習をした。実際、彼には練習する必要がないから、私だけの練習なのだが。
 OHPに映し出されたものを私が書き写したもので、伸ばす音の場合、上にマクロンというバーを書くのだが、それが省略されているので正確な記述とはいえないが、以下に紹介しておこう。
 カラキアの最初の一行などは、私には「京都、キオトト、カトゥア」に聞こえた。マオリ語の発音は、よく言われるように、日本語にかなり近い。子音が強い英語のような言語とはまるで違う。

 Kia tau ki a tautou katoa
Te ata whai o to tatou Ariki
Me te aroha o te Atua
Me te whiwhinga ta hitanga
Ki te wairua tapu
Ake Ake
Amine

(英語訳)
May we all receive
The blessing of our Lord
And the Love of God
And unity with the sacred spirit
Forever and ever
So be it

 授業が終わって、マオリの講師ヘミ(仮名)に、私がレクチャーに対するフィードバックや質問をすると、親切にもこの講師はテキストを買うために本屋までつきあってくれて、テープを買う場所まで連れて行ってくれた。教科書は、出版元がロングマンで、John C.Moorfieldによって書かれた"Te Kākano"(Longman)という奴で、辞書は、"The Reed Dictionary of Modern Māori"P.M.Ryanという奴だ。(ISBN:0582543282)(ISBN:0790005913)「マオリの人たちと一緒に暮らす機会があると嬉しいのだけれど」と私が言うと、大いに興味を示してくれて、「今は一ヶ月白人の家にホームステイしているけれど」と言うと、その件で今度また話し合おうということになった。そろそろお腹がすいてきた私に食堂まで案内してくれて、実にいい講師と知り合うことができた。
 ボンゴカフェ(Bongo Café)というカフェで、焼き飯に野菜炒めとチキンをつけてもらって5.8NZドル(406円)の昼飯をすませ、ゲートウェイに行って写真を撮影し学生証をつくってもらった。あとは、ネットプログラムのCALLの授業の始まりがわからないので、担当教授のところまで行って、開始の仕方を教えてもらった。学生カードがあれば、ネットプログラムにログインするための設定ができるのだが、どうやら24時間たたないとダメらしい。これでは、今日もシティセンターのインターネットカフェに行かないとダメだが、大学でインターネットにアクセスできるようになれば、鬼に金棒だ。図書館では、自分のラップトップを持ち込んでも、LANでつなげることができるようだから、私の学生生活もいよいよ準備が整いつつあると言える。

*1:このマオリ語の日本人受講者はすぐにいなくなってしまった。受講を取りやめたようだった。