ワイカト土地戦争で使われた砲艦の残骸を見に行く

 この「記念公園」近くに「ワイパデルタ」(Waipa Delta)というクルーズ船があり、観光名物の少ないハミルトンの中でとりわけ目立つ存在なのだが、何分いまは冬なので、私はまだ乗ったことがない。暖かくなったらワイパデルタに乗ってランチやディナーを楽しみたいと思っているのだが、実はこの近くにワイカト土地戦争で使われたランギリリ(Rangiriri)の砲艦があることを私は全く知らなかった。
 ロンリープラネットガイドブックに4行にわたって書かれていたので早速行ってみた。
 「記念通り」(Memorial Drive)に車を止めて、ワイパデルタを横眼に見ながら歩く。
 昨日土曜日は、ワイカト川の向こう岸から、ケンブリッジ大学とワイカト大学(The University of Waikato)のエイトを観戦していたのだが、昨日の大観衆が幻だったかのように今日は閑散としている。ワイカト川で私を出迎えてくれるのは、鴨ばかりだ。少しばかり川に沿って歩くと、「えっ、これがそうなの」という感じで、古びた船の残骸がワイカト川の土手の土に埋まっている。
 しっかり見ると、船の大部分はほぼ土で埋まっていて、外に出ている部分も錆びついている。おまけに土で埋められた船上には3つほどベンチまで設置されている。それで、説明文の書いてある立て札か何かあるかと思って、ぐるっとその船の残骸をまわってみたけれど、これが何もないのだ。
 私はこのワイカト土地戦争に使われたランギリリの砲艦(SS Rangiriri)を見ようと思って注視して歩いていたから、なんとかわかったけれど、何も説明されずにぱっと見ただけなら、おそらく船の残骸ともわからないだろう。
 そんな扱いのものを、数行にわたって記載するとは、さすがロンリープラネットガイドブックだと思ったけれど、これほど重要な歴史的資料の扱いとしては、これはちょっとひどいのではなかろうか。何しろこれはワイカト土地戦争(ニュージーランド戦争)で使われた砲艦の残骸なのだ。せめて残骸の近くに説明書きが必要であろう。
 この記念公園には、アンザックデーに関する英霊塔がある。
 英連邦の一員としてのナショナルアイデンティティを与えられる契機となったアンザックデー。オーストラリアのメルボルンでもオーストラリア人の同僚からアンザックデーの重要性を聞かされたことがある。アンザックデーは、国際社会にようやく参加できたという意味で、両国のナショナルアイデンティティにとってとても重要なものなのだ。
 その1915年の末には「ニュージーランド兵の負傷者は4,752人に達し、2,721人が死んだ。このうちマオリ人の犠牲者は甚大で、2,227人のマオリ兵のうち約半数が死傷した」「大きな犠牲を払いながらも、この戦争を契機として、…マオリ兵士の活躍も高く評価されるところとなった」(「ニュージーランドのミドルタウン」)というのだから、アオテアロアにおける先住民のマオリが、いわばニュージーランドにおいて、その戦争参加による貢献から、社会的に認められ始めたという意味があるのだろう。太平洋戦争において合州国の日系二世の部隊が大活躍したという話と、これはどこか通じるところがある。
 記念公園にある英霊塔とともに、このランギリリの砲艦の残骸にも、さらにもっと歴史的意義を与えてやることが、フェアな扱いだと私は考えるのだけれど、こちらはイギリス軍の侵略と征服の歴史ということだから、できれば触れたくないというような歴史意識でもあるのだろうか。そう、意地の悪い私は勘繰ってしまった次第である。