三宅民夫氏の「じっくり話そう・アジアの中の日本」を見た

 昨日の夕方から深夜にかけて、NHK総合で、「日本の、これから」「じっくり話そう・アジアの中の日本」と題する番組が連続してあった。
 首相の靖国神社参拝問題でも、憲法九条改悪の問題でも、私は、アジアの人々を眼の前にして議論することが大切だと感じてきた。
これは、日本国内の今の議論が果たしてアジアの人々に説得力をもつものなのか、はなはだ心もとなく、イメージで言うならば、日本のナショナリズムは、自分の姿だけを自分の鏡に映して自画自賛していることが少なくない、そう感じてきたからだ。日本国内の主流の議論は、ときにその意見が論戦をくぐり抜けておらず、比較・対照、相対化も弁証法止揚もなく、独りよがりであることが少なくない。
 首相の靖国神社参拝問題や憲法九条改悪の問題を、アジアの人々を眼の前にして、果たして主張できるのか、説得力があるのか、という思いが私には強いのである。
 それで今また、靖国問題は、日本の国内問題だから、外国から言われることは内政干渉にあたると、皮相なナショナリズムを援助に得て、独りよがりに独白している始末だ。
 当然、自主独立の立場で日本人自身が決めることはあるけれど、過去の侵略戦争や、その侵略戦争に対する反省、そして、未来に向けて日本がどのような立場に立つのか、こうした問題は、日本の国内問題だけの範囲にはとどまらない。いわば国際主義の立場で議論することも、同時に必要であることは言うまでもない。それなのに、今の議論は、その辺がごっちゃになって混同していることが少なくないのではないか。
 それで、テレビ番組での政治討論といえば、下品な司会者に下品なコメンテーターと、とくに民放は相場が決まっている悲しき日本のテレビ状況の中で、この問題を誠実に考え、意見の違いをフェア(公平)に扱おうとする司会者の三宅民夫氏や谷村新司氏には好感がもてた。