これからは多言語・多文化主義

 それで、寺島実郎氏や谷村新司氏のコメントで再度つくづく感じたことは、やはり日本人には、欧米を高く見て、アジアを低く見る精神構造があるということだ。こうした精神構造は、おそらく古来のものではない。「脱亜入欧」などのスローガンにあらわれているように、少なくとも福沢諭吉が生きた時代に存在していたことからすれば、近現代の産物に違いない。いや、まさに近現代の日本の軍国主義による膨張主義を支えていたイデオロギーに他ならないのだろう。
 そうであるならば、敗戦以降、政治や教育の課題として、こうした遅れた意識構造を克服すべきであったのに、日米安保条約のもと、脱亜入欧の、とくにアメリカ合州国との関係が肥大化し、アジアはコケにしていたのが日本の現実だ。寺島実郎氏的に言うならば、日本は、はじめイギリス、次にアメリカ合州国という、アングロサクソンとの二国間関係が支配的だったわけである。
理想論的にいえば、そもそもすべての国々と仲良くしなければならないし、現実的にいっても、実際の貿易額だって中国やアジアとの関係を今日無視しえない、おまけに民主主義国・アメリカの化けの皮も剥がれつつあるにもかかわらず、相変わらずこのパラダイムをいまだに引きずっているのが今日の悲しき日本の姿である*1
 これは実は外国語教育の課題でもあって、今日までの英語一辺倒の外国語教育ではなく、これからは、多言語主義でアジアの言語も含めて学生には多様なかたちで学ばせるべきである。それを相変わらず、いつまでも、英語・英語と騒いでいるのはいかがなものか。NHKの番組に登場した日本人以外のアジアから来られた人たちは、交流するのに、日本語として全く問題がなかった。これからの時代は、アジアの人たちと彼ら・彼女らのコトバで交流できる日本人がもっと増えないといけない。

*1:アメリカ病にかかっている政治家の独裁政権になるのか否かが、今度の衆議院選挙の争点でもある。