ウォッカもはいって、イングランド言語史を、ジュピターにぶちまける

 ジュピターが手土産に持ってきたものは、クリストブ(Kristov)というウォッカだった。
 ニュージーランドでも、一日ビールの小瓶1本くらいしか飲まない私はウィスキーなどの強い酒は全く口にしない。いわゆるスピリッツをほとんど飲まない私は、「これ、ウォッカじゃないの」と言うと、「こいつは、それほど強い酒じゃない」とジュピターが言った。
 ラベルを見ると、水とウォッカと砂糖でできていて、1リットルに対してアルコールは、13.9%。ニュージーランドオークランド産のウォッカだった。
 それならとウォッカを飲みながら、私はイギリス語史をジュピター相手にぶちまけた。
 イングランドイングランド語が、世界の英語になり、一大英語圏をつくりあげた功罪には大きいものがある。
 イングランド語は、ウエールズスコットランドを侵略し、大ブリテンを支配すると、アイルランドにもイングランド語をおしつけた。大体、アイルランドを搾取して、イングランドは強大になったのだ。
 そして、国内支配を終えたイングランドは、今度は、海外進出を果す。インド、南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランドアメリカ合州国、カナダとイングランド語をおしつけ、世界を支配したわけだ。
 侵略の手口は大体決まっていて、探検家、宣教師、兵士、交易者、行政官、入植者、旅行者、学校では英語を公用語化し、英語の教師も、学校で英語を教えることで、こうした流れの中にいたわけだ。
 だから今の私の職業も、大局から見れば、私の意識は全く別にして、客観的には、そうした一線上に乗っていると言わなくてはならない。
 あのニューヨークなども、元はオランダの植民地だったから、ニューアムステルダムだったわけで、イギリスが支配者になったから、名称が変更して、ニューヨークになっただけの話だ*1
 だから品のない話だが、日本が侵略を続けていて、植民地の支配者であることを続けていたら、世界のあちこちに、「新東京」「新大阪」なんて名前をつけていただろうと想像できるのと、これは同じ感覚だ。つまり、いずれにせよ、支配者の感覚なのだ。
 アオテアロアだって、オランダのゼーランド州にちなんで、ノヴァ・ゼーランドと呼ばれていた名前が、イギリス語化して、ニュージーランドになったわけで、そもそもはマオリアオテアロアだったし、マオリからみれば、今なお、アオテアロアアオテアロアなのだ。
 ワイタンギ条約が締結される1840年以前、白人が到来する前は、言うまでもなく、先住民のマオリ語が支配的言語だった。
 そこに、産業革命を経たイギリスなど、ヨーロッパの列強がやってきて、アオテアロアは支配され、英語が押しつけられたわけだ。
 日本だって、同じだ。
 アングロアメリカの黒船四隻がやってきて、時の政府は驚いたわけである。日本は植民地化されたとは言えないかもしれないけれど、内的な植民地化というのか、力関係では、いつもヨーロッパやアメリカ合州国、もう少し正確にいえば、結局、英米を上に見てきたわけで、日本のコンプレックスは、返す刀で、アジア蔑視と同根のものだった。つまり、英語を仰ぎ見て、朝鮮語と中国語を蔑視したのだ。そして、近代化のために、日本は必至に英語を学び、朝鮮・中国に対しては、それらの支配のために日本語を押しつけたのである。
 私は英語を教えることを生業とはしているが、こうした歴史を踏まえ、これからは、多言語主義、多文化主義で、一つひとつのコトバを尊重し合い、互いに仲良くしないといけないと考えている。そのためにコトバを教えるのであって、間違っても、英語帝国主義のお先棒をかつぐような役割を担うべきではないと。
 だから、研修先にニュージーランドを選んだ私は、先住民のマオリ語に敬意を払うため、挨拶程度は学ばないといけないと思ってマオリ語の初歩も学んだのだ。
 以上のようなことを、私はジュピターにぶちまけた。
 私は続けて言った。
 大体、ヨーロッパ系白人は、何故マオリ語を学ばないのか、と。
 実は、マオリ語を学んでいると私が言うと、大体彼らは、「それじゃ、あなたは私よりもマオリ語の語彙を知っていると思う」なんて言われることが、こちらではざらだ。
 だから、これだけ英語にやられてしまったマオリ語が、1987年に公用語化をかちとったというのは、すごいことだと私は思うのだ。
 日本で英語をものにした人は、その抽象度の高さゆえ、極めてめずらしく、日常的に英語を話している日本人なんて、まわりを見てもなかなかいるものじゃない。だから、英語を話す人は、かなりの希少価値だ。大半の人たちは、英語を話すことがどんなことかもイメージできずに、英語・英語と騒いで、英語がモノになればいいなんて、白昼夢をみている。
 自分の子どもにも、「教育」ということで、海外に留学させたりする。
 またある人たちは、日本語を捨てて、これからは英語でいかないといけないなんて、無責任に言ったりする。
 誇りもない、奴隷根性の日本人は、少しは、マオリ語の置かれた歴史から学んだ方がいいというのが、私の率直な気持ちだ*2
 こうした話を私がすると、このジュピターの両親も、英語が主で、マオリ語は話せなかったという。それでも、今少しずつ学び始めているとも、つけ加えた。ところが、ジュピターの祖父母はどうかというと、祖父母はマオリ語が主で、英語は得意ではなかったという。
 つまり、ジュピターの親の世代あたりで、マオリ語とイギリス語の関係がねじれているわけである。
 ジュピターの話でも、学校では、英語だけしか許されず、マオリ語を話すとムチで叩かれたという話だ*3
 チュートリアルの発表のとき、ジュピターは、いつも、恥ずかしそうに小さな声で、長くスピーチをしていたが、正直いって、英語が100%だとすると、マオリ語は、どれくらいなのかと、私は率直に彼に聞いてみた。
 ジュピターの回答は、英語が100%だとすると、マオリ語は40%くらいの感じだという。
 なるほどね、わかる気がすると、私は思った。
 ジュピターの話によれば、1チャンネルで登場するスコッティ=モリソン(Scotty Morrison)も流暢にマオリ語が聞えるかもしれないが、第二言語としてマオリ語をやったはずだという。

*1:ニューヨークの名前の元になったヨーク(York)という町は、イギリスの地図を「よ-く」見ると発見できる。

*2:例えば、ニュージーランドと同じ島国の日本で、日本人が「先住民」だとして、たとえば、イギリス系白人が日本の土地を奪い、日本人に英語を押しつけ、日本の地名も英語化し、日本語を話すことを学校で禁じ、公用語は英語だけとしたら、どんな気持ちがするか、想像してみたらいい。そうした中で、両親が子どもの将来を案じて、日本語に明るい未来を感じることができず、選択肢として消極的であれ、子どもに英語を話すようにしむける親の気持ちを、少しでも想像してみたらいい。

*3:ウエールズ語は話すな」(Welsh Not)など、「言語札」なるものを用いて弾圧されたという話は、イングランド語侵略史の中では、事欠かない。こうした研究では、中村敬氏の著作が大いに参考になる。