この連休中にジョージ=クルーニー(George Clooney)が監督した映画「グッドナイト、アンドグッドラック」(Good Night, and Good Luck)を観た。
マッカーシズムと闘ったことでも知られるテレビジャーナリズムで活躍したエドワード=マロー(Edward R.Murrow)が主人公の話だ。
エドワード=マローはジョージ=クルーニーの尊敬する人物であるが、私自身は不勉強で、エドワード=マローの評価はできないけれど、テレビというメディアについて言えば、日本も、黎明期のテレビから比較するなら今の堕落は眼を覆うばかりだ*1。
映画は、実際のマッカーシーの映像を用いて白黒で仕上げている。50年代のアメリカ合州国の雰囲気がとても出ている映画だ。
マッカーシズムについて、書庫にある陸井三郎氏の「ハリウッドとマッカーシズム」(筑摩書房)をざっと読み返してみた。
あの時代にマッカーシズムと闘ったのはエドワード=マローばかりではないと思うが、50年代のアメリカ合州国に何故マッカーシーのような人物が登場して、ヒステリックな赤狩りがおこなわれたのかが問題であろう。
エドワード=マローがクエーカー教徒の家庭に育ち、自分の名前をエドワードという英語的な名前に変えたこと、さらに彼の性格について次のような解説がされていたが、これと彼がマッカーシズムと闘ったことと関連があるのかどうかはわからないけれど、大変興味深かった。
「この偉大なキャスターの意外な素顔をもうひとつ。ラジオのレポートを聞いても、テレビのスクリーンで見ても、マローはいつもリラックスして落ち着き払っている、という印象だ。ところが彼は、スタジオでOn Air(放送中)を示す赤いランプが点灯すると、全身に冷や汗が吹き出て、膝がガクガクするというひどいマイク恐怖症。この癖は、初放送から20年間に行った5000回に及ぶ放送で、ついに治らなかったという」(田草川弘)。
テレビジャーナリズムで活躍した人物がマイク恐怖症とは意外だけれど、案外、人間とは、そんなものなのかもしれない。