最近、仕事が楽しいのは何故だろう

 一般論として「教師はつらいよ」というのが私の正直な実感である。それでも、教師という仕事は、ときに楽しいこともあることも事実だ。
 毎年、毎年、楽しいことも、辛いこともある教育現場だが、今年は、楽しいことが多い気がするのは何故だろう。
 実際、長年教壇に立ってきて、こんなに仕事が楽しい年はない。
 それは、私の一方的で勝手な思い込みかもしれないが、生徒と響き合っているように感じるからだ。もしかすると、生徒の方が大人で、私は配慮されているのかもしれないけれど。
 何よりも教師として幸せだと思う瞬間は、話したことをしっかりと聞いてくれたときである。そして、生徒が意欲を出して、頑張る姿を見せてくれたときだ。
教師の仕事というのは、生徒に聞いてもらってナンボの世界だ。この点は、落語の噺家とそれほど変わらない。違うのは、つまらない話でも生徒は帰るわけにいかないことだ。
同じ話をしても、響きあわないことなんてことは、これまでうんざりするほど何度もあった。ある年の3年生などは、4月最初の自己紹介からして、聞いてもらえなかったことがあった。それなりに年季を積んできた頃のことだから、私の話が下手ということではなかっただろうと思う。
研鑽といっても、年齢を重ねればよいというものでもない。研鑽を積んで年齢を重ねてくると、教師というものは、今度は、自分を変えるよりも、生徒のダメさ加減を非難する傾向に陥りがちだ。
あちらがすぐに変わらないのなら、やはり、こちらが変わるしかない。ベテランになっても、芸風を作り直さなければならないということほど辛いものはない。
ところで、教師が指導する内容は、本や新聞で読んだこと、自分でしっかりと研究をしたこと、映画を観て学んだこと、校長や同僚が言ったこと、教職員会議や教育団体に参加して学んだこと。出所はたくさんあるけれど、最終的には、自分の頭で考えたことだ。
 だから繰り返しになるけれど、教師で辛いのは生徒が話を聞いてくれないことなのである。
もちろん、教師が勉強不足で教師に責任があることも少なくない。教師だからという理由だけで、つまらない話を聞いてくれたのは、大昔の話だ。つまらない話しかできない教師は、研鑽を積まないといけない。
 教師という職業はつらく厳しいのである。
 けれども、教師として成長し、指導力をつけて、生徒が意欲をみせてくれるならば、教師の仕事というものは嬉しいものだ。
 生徒に対する深い洞察と共感、そして、常に自己変革が求められるのが、教師の道なのである。
 それで、それが今年はうまくいっているような気がする。