圧倒的な経済格差と中国のエネルギーを感じた旅だった

 今回の中国への初めての旅の感想を書いておく。
 日本語ガイドさんでお世話になった張さんの月給は500元(約8500円)。ボーナスはないという。これは若い張さんの月給ということで、瀋陽の平均的労働者は、1500元(約2万5500円)ほど稼ぐという*1。張さんの話では、瀋陽の不動産で1平方メートルの場所を確保するのに、5000元(約8万5000円)。留学には、10万元(約170万円)は必要という。
 日本人にとっての1000円はたいしたことはないかもしれないが、中国人には少なくともゼロを一つ足さないといけない印象をもった。つまり、日本人にとっての1000円が、中国人にとっては1万円である。おそらくそれ以上の価値があると換算しないといけない。場合によっては、1000円が1万円どころか2万円の価値を持つことだってあるだろう。
 だから、100元(約1700円)は、中国では大金だ。人前で見せない方がいいと忠告していた。これだけの経済格差だから、若いガイドの張さんは、日本で稼いで中国で使うことを勧めていた。
 ということで、今回の旅では、日本と中国とで、圧倒的な経済格差を感じた旅だった。日本では入ってくるカネも大きいが、出て行くカネも大きい。そこが物価の高い日本に住む日本人の悲しさだが、それでも、日本人は大金を持っていることを自覚しなければいけない。
 いま中国は、10%を超える経済発展を続けている。どんどん金を稼ごうという政策だから、一人っ子政策*2を続ける中で、経済格差が広がっているようだ。月光族という、一月の給料を全部使い切ってしまう富裕層が増えているという。
 こうして中国が、無視しえない可能性を秘めた大国であることに間違いはないが、日中友好を考える際に、けっして私たちは過去の歴史を忘れてはいけないということを肝に銘じるべきだ。その意味で、実際に中国を訪れることは大きな意味がある。
 とくに私が強く意識したのは、戦後生まれの私の世代が平和憲法の下で平和に暮らすことができた世代であり戦争の爪跡のない世代*3だが、ひとつ上の世代は、まさに戦争の中で青春を過ごした世代だ。学ばなければならない教訓がきちんと学ばれ、その教訓がきちんと引きつがれているのか、この点が重要であるということをあらためて認識できた。
 今回の旅で、中国人とすれ違う度に、「日本人だ(リーベンレン)」「日本人だ(リーベンレン)」と言われ続けた旅だったが、嫌な思いは一度もしなかった。その意味で、中国の度量の深さも学んだ旅だった。アジアの中の日本ということでいえば、日本人と同じ顔つきの中国人や朝鮮人を前にして、日本人としてどのような自覚をもつべきかが問われていると思う。同じ顔つきの中国人や朝鮮人を前にして、日本人とは何かを知ることができると思うのだ。そのことを深く認識できただけでも私にとって意味ある旅であった。

*1:ある調査によると、2007年度の大卒の給料で一番高い順に並べたものによれば、「第1位は大連外国語学院卒で5050元(75750円)、第2位は電子科学技術大学卒、第3位は中央財経大学卒」というデータがある。

*2:漢民族には、1人っ子政策が適応されるが、少数民族に対しては、その適応を受けないという。

*3:戦後になっても、沖縄だけは、なかなか戦後が来なかった地域であるが、沖縄を除けば、戦後、平和憲法のもとで、平和に暮らす権利がまがりなりにも守られてきたと言えよう。