China

大谷翔平投手の活躍は、他国や他者にたいする尊敬を忘れず、卑屈になることなく、みずからを鍛錬し、相互に高め合うことは可能なのだとあらためて教えてくれた

WBCは日本の優勝で幕を閉じた*1。 野球に全く興味のなかった俺だが、大谷翔平の一ファンとして、あらためて大谷翔平という野球選手としての運動能力はもちろん、謙虚さ・公平さもふくめた人間性・人格の高潔さ*2、さらに彼の言語能力は素晴らしいと感じた。 …

「(社説)香港の自由 物言えば厳罰の理不尽」

以下、朝日新聞デジタル版(2021/4/17 5:00)から。 色とりどりの多くの傘が、公園や通りを埋め尽くした。2019年8月18日。政府に抗議するために集まった市民は、170万人に上ったとされる。 警察との大きな衝突はなく、デモは平和裏に行われた。その…

「米の大学 群抜く中国の存在感」

本日の朝日新聞に「米の大学 群抜く中国の存在感」という記事が掲載されていた。 それによると、今春、ハーバード大学で、習主席の娘さんが卒業生の一人として参列していたと紹介している。学内では、偽名をつかっていて学生生活を送っていたそうだ。 アメリ…

いよいよ今日で中国ともお別れ

外国旅行といえば、ロンリープラネットを読んでから現地を訪れるのが常だった私にとって今回ほど事前準備をしなかった旅もない。にもかかわらず、今回の旅は非常に有意義な旅だった。それは、なにより、今回のツアーを計画した参加者たちの力である。 有意義…

圧倒的な経済格差と中国のエネルギーを感じた旅だった

今回の中国への初めての旅の感想を書いておく。 日本語ガイドさんでお世話になった張さんの月給は500元(約8500円)。ボーナスはないという。これは若い張さんの月給ということで、瀋陽の平均的労働者は、1500元(約2万5500円)ほど稼ぐという*1。張さんの話では…

中山広場前のホテルで昼食を食べる

毛沢東の彫像が見える中山広場に面したホテルで昼食を取る。 中華料理も、今回の昼食で最後になる。 食事は、少し心配していたのだけれど、どこでも美味しく、心配は杞憂に終わった。

中国の交通事情はすごい

ホテルで一休みしてから、バスに乗って夕食へと出かける。 今晩の食事場所は、中街近くの有名な餃子店・老辺(ろうべん)餃子館である。 その餃子屋さんがある中街は瀋陽故宮訪問時に行ったことがあるが、中街は、瀋陽随一の繁華街で、ここの人ごみはすごい…

撫順戦犯管理所訪問

撫順を訪れたもう一つの目的は、撫順戦犯管理所の訪問だ。 日本人は1000名近くがここに収容され、自らが犯した行動の反省を迫られた。長い期間収容され、家族が撫順まで会いに来ている様子が展示されている。ここには、日本人ばかりでなく、ラストエンペラー…

撫順の石炭の露天掘り

撫順の露天鉱は有名だ。 石炭の発掘が主だが、オイルシェルの精製もおこなっているそうだ。副次的なものとして、松脂が固まった琥珀も有名だという。露天鉱のまわりには琥珀を売っている店もある。 ただ、撫順での石炭の生産のピークは過ぎているとのことだ。

撫順へ足をのばす

さて午後は、瀋陽から撫順を訪れる予定だ。 撫順の案内は、張さんの手配で、張さんの先輩にあたり、すでに日本語ガイドを引退した李(仮名)さんにお世話になる。 その李さんの案内で、撫順を訪れる。今回の旅では、日本語ガイドが充実している。 撫順は、露…

英語を話すウェイトレス

さて、午前中のフィールドワークを終えて昼食である。 いつものように、丸テーブルに座らせてもらうと、今回の店の女店員さんは積極的に英語を話そうとする明るい娘さんだった。 酢漬けのらっきょのようなものが出たので、らっきょなのか、にんにくなのか聞…

九・一八歴史博物館を訪れる

次に九・一八歴史博物館を訪れた。 九・一八とは、1931年9月18日のことをさす。いわゆる満州事変(柳条湖事変)である。満州事変は、いま九・一八歴史博物館が建っている付近で起こったという。 この歴史博物館も、愛国主義教育基地であり、中国人としてけっ…

北陵公園を訪れる

昨日訪れた瀋陽故宮も美しかったが、いま訪れている北陵公園も美しい。 北陵公園とは、清朝の二代皇帝である太宗ホンタイジ夫妻の眠る陵墓である。 入り口前には、千山でも見た、石でできた一対の獅子がいた。オスが鞠で遊んでいて、メスが子供をあやしてい…

張作霖爆殺現場を訪れる

瀋陽には、日本の近現代史と関わりの深い場所がたくさんある。 今朝は、まず張作霖爆殺事件の現場を訪れる予定だ。 張作霖爆殺事件は、「満州某重大事件」と呼ばれ、河本大作が、張作霖爆殺事件の実行犯として知られるが、張作霖爆殺事件が重大事件であった…

瀋陽の四星ホテル

今晩から二晩泊まる新世界酒店(New World Hotel Shenyang)は、四星ホテルだという。大連賓館の古さから比べれば、このホテルは新しく現代的だ。部屋は広くはないが、英語圏の人間でも泊まるようなホテルで、ジムやビリヤード、喫茶室など、アメニティも充実…

世界遺産の故宮へ

さて、世界遺産の瀋陽故宮を訪れる。 瀋陽故宮は、繁華街である中街近くにある。 瀋陽故宮は、太祖ヌルハチと太宗ホンタイジが造営した皇宮である。北京の故宮に並んで有名であるそうだ。 その北京の故宮の12分の1ほどの大きさしかないようだが、瀋陽故宮は…

昼食は東北料理

瀋陽に着いたから、今日から本格的な東北料理だそうだ。東北料理は、味つけも濃くなる。見た目の色も濃い。 今回、初めての中国なので、食事が少し心配だったが、こちらに来てからというもの、何を食べてもおいしく、食事は全く問題ない。 食事後、少し瀋陽…

鞍山から瀋陽へ

さて、鞍山から瀋陽へ向かう。 瀋陽は東北地方の中心都市であり、鞍山から瀋陽までは約89キロほど離れている。 瀋陽の南側には川が流れていて、中国では川の北側を陽、南側を陰といい、瀋陽は川の北側に位置することから瀋陽という名前がついたという。 瀋陽…

湯崗子温泉の朝

昨晩泊まった湯崗子温泉の施設は広く、公園のような風情がある。ここは一泊しかしないので、今朝、出発の予定だ。朝、その公園を散歩することにした。湯崗子温泉は逗留するところなのだろう。気持ちよく散歩ができる。 散歩を終えて出発前のチェックアウトで…

湯崗子温泉での夕食

さて、夕食である。 先ほどから何度も書いているように、ここ湯崗子温泉に日本人はあまり来ないのだろう。ルームキーのカードの裏に書いてあった諸注意は、ロシア語だけが併記されていて、英語も日本語もなかった。そのせいか、湯崗子温泉の食堂にはビールは…

垢すりの値段が20元

三種類の風呂の向こうには、垢すりをやってもらえる部屋もあり、垢すりが20元(340円)だという。私のように中国が初めての訪問客にとって、この辺の金銭感覚がよくわからないものの、人件費がべらぼうに高い日本から来た日本人にとって、20元は安い。日本人…

湯崗子温泉の湯につかる

温泉ということなので、早速、龍宮と呼ばれている風呂に入る。 男性風呂は、まず広いシャワー室があり、その先に湯船に浸かれる風呂がある。 熱い風呂、中くらいの温度の風呂、ぬるめの風呂と三種類あり、さらにサウナも、水分補給できる場所も確保されてい…

湯崗子(とうこうし)温泉を訪れる

再度バスに乗り込む。 さて、少し歩いたから汗をかいた。これから向かう今晩の宿の湯崗子温泉は、東北地方随一の温泉であり、温泉治療所のようなところだ。湯崗子温泉は、あの溥儀も訪れたことがあるという歴史をもつ。 その湯崗子温泉に着いたとき、ひなび…

鞍山から千山へ

鞍山で昼食を取り、ここからさらに千山をめざす。 千山には、その名のとおり山々が連なっている。その山は群馬県にある妙義山のような険しい山々であり、奇岩で有名であるという。その千山に、無量観という道教の寺院がある。道教の寺院には、護衛術も鍛えた…

大連から鞍山へ

二日間滞在した大連、そして二夜お世話になった大連賓館(旧ヤマトホテル)とも今朝でお別れである。 今日からガイドも、王さんから若い張さんにかわる。 張さんは、瀋陽生まれの瀋陽育ちで、大連で学校生活を送ったけれど、生まれ育った瀋陽の方が好きだと…

大連から旅順へ

日本人なら一度は名前を聞いたことがあるであろう旅順口は、軍事的に重要な港である。 日本がロシアと争ったのも不凍港である旅順が重要であったからだし、旅順が軍港として重要なことは中華人民共和国に変換された今も変わりがない。だから旅順には軍人が多…

大連の夜景を見る

旅順から大連に戻り、今晩は大連海鮮料理の夕食である。 食後に大連の大広場の夜景を見るために展望台に上る。大連の大広場は、大連市の中心にある。街路が放射線状に延びているのは、ロシアの影響を受けているからだ。 今晩も、大連賓館、旧ヤマトホテルに…

旅順日露監獄を訪れる

旅順には、安重根(アンジュグン)が収容・処刑された日露監獄がある。この場所の見学も許可が必要だ。 1909年10月26日、ハルビン駅で、朝鮮の初代総督であった伊藤博文を射殺した安重根は朝鮮の英雄だ。11月3日、旅順刑務所へ送られ、「国事犯」として監禁…

旅順博物館を訪れる

二百三高地の次に訪れた旅順博物館も、日本人旅行客にとって許可が必要な場所のひとつである。 ここには、大谷光端探検隊が発掘したトルファンのミイラが展示されていることで有名だ。 立派なコレクションを説明してもらった最後に、骨董品の販売説明がある…

二百三高地を訪れる

日露戦争戦跡としては最大の激戦地である二百三高地を訪れる。 こちらに来て学んだことの一つは、日露戦争というと、日本とロシアの戦争と思っていたが、それは間違いだということだ。実際、この203高地でも、日本側の犠牲者は7500余名、ロシア側の犠牲者は6…