撫順戦犯管理所訪問

 撫順を訪れたもう一つの目的は、撫順戦犯管理所の訪問だ。

 日本人は1000名近くがここに収容され、自らが犯した行動の反省を迫られた。長い期間収容され、家族が撫順まで会いに来ている様子が展示されている。ここには、日本人ばかりでなく、ラストエンペラーと呼ばれたあの溥儀も収容され、いわば再教育を受けていた。
 施設を見学している間、どうしても先日訪れた旅順日露刑務所との比較をしてしまう。あの日露刑務所の狭さや拷問に用いた道具、独房の暗闇が頭をよぎる。

 ここ撫順戦犯管理所での扱いについて感謝している者は少なくない。撫順の奇跡を忘れるなということで、中国帰還者連絡会が結成され、その中帰連による碑が立っていた。







 私たちは十五年に及ぶ日本軍国主義の対中国侵略戦争に参加・焼く・殺す・奪う滔天の罪行を犯し、敗戦后撫循と太原の戦犯管理所に拘禁されました。そこで中国共産党と政府・人民の「罪を憎んで人を憎まず」という革命的人道主義の処遇を受け、始めて人間の良心を取戻し、計らずも寛大政策により、一名の処刑者もなく帰国を許されました。
 いま撫順戦犯管理所の復元に当り、此の地に碑を建て、抗日殉難烈士に限りなき謝罪の誠を捧げ、再び侵略戦争を許さぬ 平和と日中友好の誓いを刻みました。

 一九八八年十月二十日
                          中国帰還者連絡会

 その関係の展示物もあり、戦後の時代精神を垣間見ることができた。
 撫順戦犯管理所の訪問を終えて、撫順から瀋陽に戻る。
 撫順の道路事情は、瀋陽に比べると、あまりよくないとガイドの張さんが説明してくれる。撫順の道路事情が悪いので、道路に穴が開いていたりして、バスのバウンドも激しいときがある。