二百三高地を訪れる

 日露戦争戦跡としては最大の激戦地である二百三高地を訪れる。

 こちらに来て学んだことの一つは、日露戦争というと、日本とロシアの戦争と思っていたが、それは間違いだということだ。実際、この203高地でも、日本側の犠牲者は7500余名、ロシア側の犠牲者は6700余命という。けれども、日露戦争といっても、中国での権益を争っていたわけで、戦地は中国本土でおこなわれていた。この点から、日清戦争はもちろん、日露戦争における中国人犠牲者のことを私たちは忘れがちだ。
 標高203メートルということから、203高地と名付けられたが、以前は、数メートル高かったようだ。爾霊山と当て字を使って乃木大将が命名したという。爾霊山とは、「あなたの魂がある山」というような意味らしい。いまは緑があるが、当時は禿山だったという。
 203高地の頂上に至る道は舗装されているが、結構な急坂で、駕篭かきがいる。100人民元ほどで乗れるようだが、100元は中国では大金だ。駕篭かきの様子を見ていると、途中で何度か休憩している。それを取り仕切っている親方らしき人物がオートバイで急坂を上ったり降りたりしている。
 乃木希典には、勝典、保典という息子がいて、この三人を三典(さんすけ)と言った。裏の方に駐車場に抜ける別な階段があり、こちらに乃木保典の戦死の石碑が木々に隠れてひっそりと立っていた。