「日本の人口減少」とフランス・ドイツ

amamu2014-08-11

 9日付の朝日新聞の「政治断簡」というコラムの松下秀雄という編集委員の文章が眼にとまった。
 ひとつは、日本の人口減少が「太平洋戦争の前にすでに想定されていた」という点。それと、当時の考え方として、「個人主義にむしばまれたフランス」と「家と民族を基礎とする世界観」という認識の対比。にもかかわらず、その「見立てが見当外れ」となったこと。これらの点がたいへん興味深かったからだ。
 私見に過ぎないし仮説に過ぎないのだが、日本近現代史を振り返ったときに、明治維新以降、歴史の底流に、フランスの人権思想とおそらくはイギリスの功利的経済思想との葛藤・対立が流れているように感じてきた。なにもことさらフランスとイギリスを持ち出さなくてもよいのだが、今日の原発問題なども、基本的に同じ構造なのではないかと感じてならない。さらに大日本帝国憲法制定時にドイツ(プロイセン)を参照したように、我流であるのだろうが、政治的には結局ドイツを大いに参考にしたということになるのだろう。
 フランスの人権思想でいえば、たとえば日本の哲学の不在を嘆き不遇にその生涯を終えた中江兆民が思い出される。イギリスの功利的思想でいえば、蘭学から英学に切りかえた福沢諭吉が思い出される。
 また、明治22年から25年にかけて民法典論争における断行派と延期派のたたかい。
 大雑把にいえば、断行派はフランス系。延期派は、イギリス系・ドイツ系だった。高校生も「民法出デテ、忠孝滅ブ」というドイツ系の論客の代表のひとり・穂積八束のことばは日本史で学んでいるだろう。
 フランスがすべて素晴らしいということを言いたいわけではないが、ひとつの論点は、日本人は人権思想をきちんと学びきっていないのではないかということである。それらの流れは、戦禍を経て、結局現在の日本国憲法の精神の大きな流れに確実につながっており、今日なお日本国憲法をどう実現するかという論争・論点になっていると考えざるをえない。
 以下を書かれた編集委員の問題意識と関連がないかもしれないが、そうした個人的問題意識から、このコラムを興味深く読んだ。

 日本の人口減少は、太平洋戦争の前にすでに想定されていたそうだ。
 原典を探すと、開戦前年、1940年の人口問題研究所(国立社会保障・人口問題研究所の前身)の刊行物に、その人口推計があった。
 2000年の1億2274万人をピークに減少に転じるとある。当時の「内地人」人口は7千万人余り。まだ増える途上なのに、どうして?
 理由は出生率にあった。その20年ほど前から低下傾向が続いていたのだ。軍需産業を中心に工業化が進み、人々が農村から都市に移り住むのと歩調をあわせて。

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 戦場と植民地に送る兵や労働力を必要とした政府には、見過ごせない問題だった。39年に研究所を設けたのも、実はその危機感による。
 政府は41年、「60年に1億人」を目標とする人口政策確立要綱を決定する。要は、家と民族のために産め、という内容である。
 「家と民族とを基礎とする世界観の確立」に、「家族制度の維持強化」。女学校では「母性の国家的使命」を認識させ、20歳を超える女性の就業を抑えて、平均5児を目標にする、という。
 なぜ「家」なのか。いまの研究所の人に聞くと、やはり都市化が背景にあるらしい。
 都市に出てきた労働者は先祖代々の田畑も店も持たず、跡取りを産むことへのこだわりが薄い。だから、「家のため」を忘れるなと説くことが出産奨励の意味を持った。
 「民族」にはナチス・ドイツの影響が色濃い。当時の研究所の資料にこうある。
 個人主義にむしばまれたフランスに出生を増やせるかは疑わしいが、ナチスは民族観念による政策を打ち立てた。「天皇を上に戴(いただ)く一大家族国家」日本も、家と民族を基礎とする世界観を確立せよ。
 いまになってみれば、この見立ては見当外れだ。一人の女性が生涯に産む子どもの数の平均はフランスが2人、日独1・4人。近年の研究では「家族主義」の国で少子化が著しく、日独、さらにイタリアなどがそれにあたる。
 夫が稼ぎ、主婦が子の世話をする。そうして家族の力で育て、家族で支えあう。それを当然と考えるのが家族主義だ。すると子育て支援が手薄になりやすい。親子の絆が強いぶん、子が成人しても親元に残り、自立が遅れがちだ。

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 もちろん、その家族主義と昔の家族国家は別物だ。ただし、無縁ともいえまい。
 家族国家は、日本人全体を家族とみなす表現だ。個人より家族を優先し、家族のための献身を美徳とする人々に、天皇を父とする大きな家族のために身を捨てさせる仕掛けだった。
 端的な例が特攻だろう。
 特攻を、究極の人命軽視と捉えるか、自己犠牲に涙し共感するか。日本ではいまでも「個人」や「人権」の視点が弱く、「大きな家族のため」の論理が通用しやすいように感じる。
 家族を拡大する論法は、いまもこの社会のあちこちで使われている。注意が要る。