異色の経済人の「くらしの目」

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 10日付の朝日新聞の「くらしの目」というコラムで、「脱原発」宣言で注目をあびた異色の経済人・吉原毅さんの意見が載っていた。
 近代化を全面否定しているわけではないけれど、英学・近代化の結末として3・11の原発事故があったと言えるのかもしれないという私見を仮説としてもっている自分としては、「経済」そのものの概念をどのように考えるかが重要であると思っている。そこに憲法の精神がかかわっていることは言うまでもないだろう。
 こうした意見を述べる経済人に「異色」という肩書をつける日本。ここにも、人権と経済とを、一面的に対立的な構造にもちこむ日本の“常識”が表明されていないだろうか。

 私たちの暮らしがお金にとらわれ、行き着いた先が福島の原発事故だったのだと思います。しかし『原発を稼働しないと日本の経済は大変なことになる』といった脅し文句が相変わらずはびこっていますね。原発は、廃炉費用や使用済み核燃料の保管コスト、万一の事故の補償を織り込めば採算も合わない。それでも推し進めるのは、もはや国家ぐるみの粉飾決算です。

 関西電力大飯原発の差し止め訴訟の福井地裁判決は、良識ある判断でした。憲法の精神を踏まえれば国民の幸せな暮らしが何よりもまず保障されるべきなのです。