以下、朝日新聞デジタル版(2017年8月9日11時05分)から。
72年前、長崎市に原爆が投下された9日午前11時2分。横浜(神奈川)の4番打者・増田珠(しゅう)君(3年)は、兵庫県伊丹市での練習を一休みし、黙禱(もくとう)した。
「今、野球ができることに幸せを感じています」。神奈川大会で5本塁打を放った全国屈指の強打者は毎年、こうして目をつぶり、被爆者に思いをはせる。
長崎出身で、戦争や原爆の被害は「生活の中で勝手に知っていくもの」だった。祖母の久美子さん(74)は広島で被爆し、現在も体に傷痕が残る。
母校の長崎市立淵(ふち)中学校は爆心地から約1キロの距離にあり、原爆で100人以上の生徒が亡くなった。今も、焼けた壁や被害の写真が展示され、毎年8月9日には学校で黙禱を捧げた。「この日の長崎の11時2分はとても長い。1分間目を閉じて、サイレンがずっと聞こえた」と振り返る。
だが、「夢を与えるプロ野球選手」を目指して横浜に進学すると、周りは違った。ある日、チームメートに誕生日を問うと、「8月9日、野球の日だよ」。「え、長崎の原爆の日って知らないのか」と驚いた。
そう思った増田君も1年生の時はプレーに必死で、気づくと8月9日の11時2分が過ぎていた。すぐに黙禱したが、「神奈川では11時2分はあっという間に過ぎていく」と実感した。昨夏の8月9日は甲子園で迎えた。試合に臨む前の練習中、体を動かしながら目を閉じ、祈った。
被爆者も高齢化が進む今、「伝えられる人間が伝えないと」。横浜に来て、そんな意識が強まっている。だがなによりも、「今でも被爆した人がいる。そういう人に元気を与えられるよう頑張っていきたい」。故郷の思いも背負い、夢を目指す。(山下寛久)