以下、朝日新聞デジタル版(2020年5月19日 12時55分)から。
安倍晋三首相が今国会での成立を断念した検察庁法改正案。国会でのつじつま合わせのような説明がさらなる疑念を呼び、政権が追い込まれていった3カ月半だった。コロナ対応に追われる中で反対の声が再燃し、「検察人事への政治介入」という批判の核心部分への対応も先送りとなった。
発端は、政権に近いとされる黒川弘務・東京高検検事長の定年延長が閣議決定された1月31日だった。前例のない検察官の定年延長。森雅子法相は「重大かつ複雑、困難な事件の捜査・公判に対応するため」と説明した。
2月10日、衆院予算委員会で矛盾が露呈する。黒川氏の定年延長について、国家公務員法を適用したと説明する森氏に、検事出身の山尾志桜里氏が1981年の人事院の国会答弁を突きつけた。当時の国家公務員法改正案の審議をめぐり、「(延長は)検察官には適用されない」との解釈を示していた。森氏は「議事録の詳細は存じ上げない」としどろもどろになった。
「違法」との批判が巻き起こるなか、81年の見解をめぐり、12日には人事院の松尾恵美子給与局長が「現在まで同じ解釈を続けている」と答弁。翌13日、首相は衆院本会議で「(検察官に)国家公務員法の規定が適用されると解釈することとした」と説明した。閣議決定から2週間を経ての表明だった。松尾局長は19日、自らの「同じ解釈」答弁について、「つい言い間違えた」と撤回した。
政府は説明の整合性をとるために、「後付け」で解釈変更したことにしたのではないか――。野党はそう追及したが、森氏らは1月中旬から法解釈の変更を検討したと説明。だが、法務省などが国会に提出した資料には日付がなかった。森氏は省内で解釈変更を決めた手続きについて「口頭決裁で行った」と述べた。政府側は手続きの「証拠」をなお示せていない。
森氏の答弁も迷走した。検察官の定年延長が必要になった理由を「社会情勢の変化」と説明してきたが、3月9日の参院予算委では唐突に東日本大震災を持ち出して「検察官が最初に逃げた」と発言。謝罪・撤回に追い込まれた。
新型コロナウイルスが深刻化する中、野党の追及はいったん下火になったが、政府・与党が審議を強引に進め始めると、今月9日からツイッター上で「#検察庁法改正案に抗議します」という投稿が広がる。野党は対決路線に転換し、検察幹部が定年を超えても政府の判断でポストにとどまれる「特例規定」に焦点を当てた。政権が都合の良い幹部を優遇できる仕組みともなりかねないからだ。
そもそも特例規定は、昨年10月段階で省内では「不要」と判断されていた。森氏は今月15日の衆院内閣委で「時間がある中で改めて検討した」と説明。実際に適用する際の基準も、「新たな人事院規則がないので、具体的に示すのは困難」と語るのみだった。
SNS上の反発の拡大について、首相は同日の参院本会議で「コメントは差し控える」としていたが、18日には記者団に、「国民の声に十分に耳を傾けていくことが不可欠」と語った。
検察官の定年延長 混乱の3カ月半
1月31日 黒川弘務・東京高検検事長の定年延長を閣議決定。政府は、国家公務員法の定年延長規定を使ったと説明
2月10日 同法の延長規定は検察官に「適用されない」とする1981年の人事院答弁の存在を、野党が指摘
12日 人事院の給与局長が年答弁について「現在まで同じ解釈」と国会答弁
13日 安倍晋三首相が国会で法解釈を変更したと表明
19日 給与局長が12日の答弁を撤回
20日 法解釈の変更をめぐる政府内協議の文書(日付なし)を国会に提出
3月 9日 定年延長が必要な理由をめぐり森雅子法相が「検察官が逃げた」発言
13日 政府が検察庁法改正案を国会提出
5月 8日 衆院内閣委員会で質疑。森氏の出席に与党が応じず、野党側が欠席
9日 ツイッター上で著名人らの抗議が広がる
11日 立憲民主党の枝野幸男代表が衆院予算委員会で「火事場泥棒」と批判。首相が今国会成立をめざす考え示す
13日 武田良太・国家公務員制度担当相の衆院内閣委での答弁に反発し、野党側が途中退席
立憲など野党4党の党首らが、同改正案から特例規定の削除を要求することで一致
15日 野党の要求で森氏が衆院内閣委に出席。検察幹部に定年延長を認める基準について「示すのは困難」と答弁。野党は武田氏の不信任決議案を提出し、改正案の採決は先送りに
検察OB有志が改正案反対の意見書を法務省に提出
17日 朝日新聞社の緊急世論調査(16、17日実施)で改正案の賛成15%、反対64%。内閣支持率が33%に下落
18日 首相が自民党に、今国会成立の見送り方針を伝える(三輪さち子)