さて、今日はマオリ語の口頭発表の試験。簡単な自己紹介・家族紹介をマオリ語でやることになる。メモを見てはいけないので大変だ。
ところで、コトバの学習というのは、ながら勉強がいいみたいだ。だから、歩きながら覚えたものをブツブツ話してみるとか、家事をしながら覚えたての暗唱文を言ってみるなんていうのもいいようだ*1。
今日はまだ日も明けないうちから、スパに入りながら、暗唱文を言ってみた。
暗唱文の一文一文を無理やり覚えないといけないのだが、本来コトバの記憶というものは、潜在意識を利用する方が自然なようで、コトバを繰り返し聞いたり言ったりする中で、無理せず、自然に覚えていくやり方の方がいいようだ。
ただし、外国語学習の場合は、無理して覚えることも少なくない。これは、無理して覚えた分、それだけ早く忘れやすくもあるのだが、それでも、外国語学習の場合、ときには集中して無理して覚えることも必要なようだ。そして、生徒に集中的に学習させるためには、ときには試験も評価も必要なのだろう。
ただ、その試験結果で、合格を決めたりすることが愚劣なのだと思う。どれだけその人物が真面目かという尺度を測れるから、そうした本人の姿勢の評価のために、英語の試験を活用するという目的論をたまに日本で聞くことがあるけれど、これなどは英語試験の最低の使い方だ。たしかに日本の言語環境では、英語学習が抽象的にならざるをえないから、英語のテストを、真面目度テスト的として使えないことはない。だけども、最近は、海外でコトバを学んでくる帰国生も少なくないから、そうした使い方は、実に不公平だ*2。
ところで、無理して記憶しようとする場合、暗唱文なら、一文一文を縦の順番で覚えていたり、横の一文の音声の語呂合わせで覚えたりするものだ。
私は風呂場で、暗唱文全体を、パーツに分解したり、覚えにくい一文だけを繰り返し練習をしたり、全体を通して言ってみたり、いろいろと練習してみた。
コトバは、繰り返しが大事である。
一にも練習、二にも練習、三にも練習だ(Practice, practice, practice!)。Practice makes perfect.(「練習こそが完璧にさせる」)のコトバ通り、朝飯を終えてから、洗い物をしながら、廊下を歩きながら、時には気持ちを込めて、暗唱文を練習してみた。