品質管理の行き届いている日本では、消費者にサバイバル能力は身につかない

 品質管理の行き届いていて面倒見のよい日本だから、あれこれとやってもらって甘やかされている私は、車が抱える問題に対する対処能力が基本的に欠如している。
 これまでアメリカ合州国西部、ハワイ島アイルランド、オーストラリアのタスマニアメルボルン近郊、そしてニュージーランドと、レンタカーで回ってきた経験があるのだけれど、これは私の全くの非日常生活である。
 日常生活は電車通勤だから、車に関してはいわばサンデードライバー状態でスズキのエスクードに乗っている。第一、ごみごみした都会を車で走るのは好きではないし、車なんて都会では全く便利とも思っていない。奥田民生ではないけれど、「車はほんとに便利なんかねぇ」(「車カー」)の気持ちである。
 実は私は自転車による移動が好きで、三浦半島なども何回もまわったし、房総半島を横断したり、真夏に浜名湖を一周したこともある。
 自転車にのってみるとわかるが、自転車という乗り物は結構能力が高いし、自転車に乗るといろいろなものが見えてくる。自転車旅行なら、まず天候も見ないといけないし、パンクをしたら自分で直さないといけない。何から何まで自分が頼りである。だから品質管理の行き届き過ぎている日本社会ではなかなか得られない経験が自転車旅行ならできる。自分のことが自分でできないのはあまりにも悲しいではないかと深く反省して、一時期、自転車旅行を遊びとして楽しんでいたのだ。ただ悲しいことに、日本は自転車に対して親切な社会ではない。ニュージーランドと違った意味だけれど、相変わらず車がえばっている社会だ。
 だから、たまに自動車に乗って車にもお世話になっている私としては、自動車のメンテナンスくらいは自分でしないといけないと思った時期もある。けれど、日本での生活はあまりにも忙しすぎて、車に関しては、業者まかせ、金まかせの怠惰な生活をしてこざるをえなかった。そもそも車をいじって遊べるような広いガレージもないから、メンテナンスを楽しめるようなスペース自体がない。
 そんなわけで、いまだに自分でガソリンを入れることにも慣れていない始末なのである。そんな奴が車に乗っていていいのかという感じである。ハワイ島で、レンタカーを借りて出発したてのときに、めずらしくパンクしたことがあったが、地元住民に助けてもらってスペアタイヤをつけてもらったことがある。メルボルン近郊のホールズギャップでパンクし、スペアタイヤをジャッキを使って自力でとりかえたことが一度あるが、全くといってよいほど車は詳しくない。自転車のメンテナンスの方が、まだわかるくらいだ。
 それに比べると、ニュージーランドでは、ディーラーもあるけれど、基本的に自分のことは自分でやらないといけない社会。車が足代わりなら、車のことがわからない奴は、靴のはき方を知らない奴と同じレベルに違いない。大体中古車が主流だから、故障も直せなければ、車に乗ることもできない。それにガレージや庭が広いから、日本でいえば、ちょっとした町の自動車整備工場といったらオーバーだけれど、機能的には、「必要充分」なものがそろっていて、車をいじることはごく普通のことだ。自分でできなくても、車に詳しい奴がいて、そいつにやってもらうというネットワークもあるに違いない。
 ということで、車に関する私の能力は、そもそも日本でもそうなのだけれど、ニュージーランドなら、なおさら能力のない奴、車に乗る資格のない奴ということになってしまう。
 だから車に関してヘルプしてもらうときには、「日本は品質管理社会なので、なんでも面倒を見てもらっているから、自分では何もできないんだ」と、常に私は言い訳をしている始末なのである。