イギリス軍はランギリリからさらに南下し、1863年12月8日、マオリからなんら干渉されることなく、ナルワヒアにたどり着いた。
今日なおナルワヒアには多くのマオリが住んでいるが、マオリ土地戦争前は、ナルワヒアの上に位置するワイパ渓谷の土地にマオリがたくさん住み、ナルワヒアはワイカト地方の食料庫の中心ともいえるところだった。土壌が豊かなことに加え、ワイパ川が好まれたのは、カヌーによる移動が比較的簡単だったからである。
イギリス軍は、ワイカト川とワイパ川の合流地点のポイント(Point)と呼ばれている地域にあったマオリ王の拠点を早々と占拠し、ここに造船所、砦、貯蔵所などをつくった。
Site 11-Pioneer gun/rifle turret at the Point, Ngaruawahia
イギリス軍の軍艦パイオニアの砲門のついた装甲塔は、マーサーでも見ることができる*1が、ナルワヒアのワイカト川とワイパ川の合流地点、ポイントと呼ばれている公園でも見ることができる。
この装甲塔は1927年に、ニュージーランド政府から、ナルワヒアの町に贈呈されたもので、以前は装甲塔の内部に入れたらしいが、昨日私が訪れたときには鍵がかけられていて、内部に入ることはどうやら無理のようだった。
小冊子には、「ここには入ることができて、この装甲塔の中で守られながら、海軍の兵隊たちが砲撃し弾丸を込めたときの実際の情景が想像できるようになっている」(‘You can go inside this turret and imagine the scene as the naval men fired and reloaded their weapons within its tight confines.’)とある。
ポケノからナルワヒアまでは63キロ。
イギリス軍からすれば、ポケノにある「イギリス女王の砦」からワイカト川に沿って南下し、マオリの砦を次々に占拠した進攻であったわけだが、マオリの立場からすれば、後退に後退を余儀なくされた抵抗戦に他ならなかったわけだ。
*1:マーサーの装甲塔については、昨日の日記http://d.hatena.ne.jp/amamu/20041109を参照のこと。