戦後60年特集で、「半藤一利さんがつづる戦争」を読んだ

amamu2005-08-14

 昨日の朝日新聞で、なぜ日本が戦争に突き進んだのか、戦後60年の特集のひとつとして、「半藤一利氏がつづる戦争」と題して1ページがさかれていた。
 半藤氏は、作家・永井荷風の「断腸亭日乗」という日記を冒頭で紹介していたが、私自身たいへん不勉強で、日中戦争が始まった頃に「悪い中国を懲らしめる」という意味で用いられたスローガン「暴支膺懲」(ぼうしようちょう)というコトバをそこで初めて私は知った。
 氏によれば、満州領有の極秘計画の失敗から「世論をリードする新聞を巻き込むことが緊要である」と教訓を学んだ陸軍によって、満鉄の線路爆破事件を端に発した満州事変では、マスコミが「争って世論の先どりに狂奔」するようになっていたという。
 こうして「軍部と政府の巧みな情報操作」に大衆はまんまと乗せられたわけだが、「むしろ威勢のいいかけ声に煽られた国民感情のなかに、それを受け入れる素地がありすぎるほどあった。いやいやそれよりも、国民のなかに満ち満ちた不景気打開のため戦争を望む声や気分によって、空気によって、戦争は拡大していったといったほうがいいか」として、「戦争とは国民的熱狂の産物」に他ならないと述べている。
 半藤氏は、「満州事変いらいの死者310万人(民間人も含む)、大日本帝国満州の権益、朝鮮、台湾など父祖が得た植民地のすべてを失った。これが昭和開幕いらい20年間の、悲しい結論ということになる」と結んでいたが、先に紹介した「憲法を変えて戦争へ行こう という世の中にしないための18人の発言 (岩波ブックレット657)」という岩波ブックレットの中でも、周辺にいる今日の大人をさして、「戦争や軍事にたいする深い洞察と想像力の欠如している子供が、いまの日本に多くなった。それを心から憂えている」と、半藤氏は述べていた。