今朝の朝日新聞の社説はひどい

朝日新聞

 数日前にも書いたけれど、一般紙は、私は朝日新聞をとっている。社会人になってからというもの、一貫して朝日新聞の購読者だから、すでに25年以上にもなる。生まれ育った家でも一般紙は朝日だったから、それから数えれば私は長年にわたる朝日の愛読者の一人といっても許されるだろう。
 ところが、「元気と思慮ある国に」と題する今日の朝日の社説を読んで驚いた。
 イメージで語って申し訳ないが、文章は情緒的で、中味がなく、なおかつ決めつけ的な文面で、品がない。となれば、当然、権力迎合だから、さらに始末が悪い。
 こんなお粗末なものを8月15日付けの社説に選ぶとは、朝日新聞は、いつから、こんなひどい新聞になったのか。
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
 引用することも恥ずかしいが、少しだけ引用してみると、冒頭で、今日、さまざまな「もやもやとした不安」があると書き連ねた上で、次のように朝日の社説は述べる。
 『そうした中、小泉純一郎という異色の首相が人気を保ってきたのは、その元気さからではないか。
 「改革」の看板を掲げ、苦境にめげず摩擦も恐れずに立ち向かう。首相の好きな西部劇さながらの勇ましさが受けるのだ。郵政法案の否決に不敵な笑みを浮かべて踏み切った今度の解散は、その典型だった』
 この社説はその後、「古来、むら社会を基盤にしてきた日本」という日本「むら」社会論を展開したうえで、「「むら」を壊してでも進む小泉流が、だからいま、頼もしく見えるのだろう」とさらに首相を持ち上げる*1
 これほどの中味のない「提灯社説」もめずらしいものだ。
 もう呆れてしまって、これ以上引用する気もないけれど、もっと質を上げていかないと、購読者は離れていくばかりだろう。
 一昨日、同じく朝日新聞だが、「半藤一利さんがつづる戦争」の中で、新聞も軍の行動を支持したとの指摘があったし、昨日の社説でも、「検閲があったとはいえ、新聞も追随する紙面を作った。重い戒めとしたい」との一文があったけれど、戦後の原点、新聞としての反省はどこにいったのか。
 社内事情については全く知らないけれど、朝日新聞の社内でも、紙面の掲載をめぐって、攻防戦があるに違いない。
 本日の社説は特にひどい代物だが、「半藤一利さんがつづる戦争」の特集記事を、一読者として支持する。

*1:この社説の後半には、「さすがの小泉氏にもアジア村では人事権も解散権もなく、ダメならぶっ壊すというわけには行かない。もとより戦前のように、力ずくという道もない。揚げ句は国連安保理常任理事国入りに、両国からあれほど強く反対されようとは」という、論理も品もないひどい一文がある。