1月6日の朝日新聞で、作家の半藤一利さんが朝日新聞のインタビューに答えている。
ー 日本の歴史の中で、今の時代をどうとらえていますか。
私は時代の変化を「断絶」で考えている。明治維新は西洋文明を入れることで断絶に向き合い、敗戦後は第日本帝国から決別して新しい国をつくることで断絶に立ち向かった。
「3・11」を境にまた断絶ができた。これを明治維新、敗戦に次ぐ新しい時代をつくる「第3の維新」ととらえたいと思っていたが、残念ながら「第2の敗戦」と見た方がいい。
「何に敗れたのでしょう」という朝日新聞のさらに突っ込んだ質問に対して、半藤氏は、「日本は資源のない国だから、近代史はエネルギーとの闘いだった」と切り出しながら、「戦後は被爆国として核廃絶を訴える一方で、原子力の平和利用の名の下に原発建設を進めた。原子力は制御できないとわかっていながら原発の安全神話を信じた。日本人がエネルギー制作を確立できず、歴史に学ばずに敗れたということ。私もしみじみ反省している」と述べている。
この「3・11は第2の敗戦」という半藤氏の見方については、正直よくわからないけれども、「断絶」ということでいえば、現近代の歴史上まさに「断絶」と言わなければならないほどの出来事であったと私自身も認識している。
それは、1945年のヒロシマ・ナガサキ以来、核時代に生き、核廃絶を悲願としなければならない日本での原発事故であるということ。明治維新以来、脱亜入欧、わけても英学を土台にしながら、近代化をはかり、1945年の敗戦を経て、なお成長神話をひた走ってきた結末が、命と暮らしの連鎖を根絶やしにしてしまう想像を絶する破壊力をもつ被曝・放射能汚染という、まさに「断絶」に他ならない。
ついでにいえば、原子力ムラと呼ばれる権力構造、勇気ある知識人の警告 を無視してきたという点でも、まさに「断絶」である。
「日本の政治指導者に求めるものはなんですか」という質問に対し、「決断に責任を取ることが大事」と述べつつ、「震災であれほど被害を出しておきながら責任をとった人がいないのは、世界の笑い物だ」と半藤氏が述べている点については、大いに共感せざるをえない。