再生会議の提言で、査定によって教員給与が増減される案が浮上している

amamu2007-04-08

 言うまでもなく、教育においては教師と生徒との信頼感が大切である。さらに、教師集団における教師間の信頼感が重要であることも言うまでもない。
 ところが、今日の新聞報道によれば、教員給与を査定で20%増減があってよいという案が再生会議で検討されているようだ。つまり、教員の給与が80%から120%まで幅ができてよいということである。
 これはどうか。
 学校の教育労働の現場にも競争原理の導入ということだが、それでうまく行くのだろうか。
 少なくとも、教師集団は、こうした政策によって破壊される。その傾向が強まりこそすれ、弱まることはないに違いない。
 最近の政策は、学校間の競争を導入することで教育をよくしようとしているようだが、これは教育というものがわかっていないと言わざるをえない。というのも、生徒全体を引き上げることが教育の価値であり、また人間の価値とは業績や結果だけではないということが教育原理においては重要であると思うからだ。
 言うまでもなく学力は重要である。しかし、教育に期待するものは、学力だけではないことも自明の理であり、人間として誠実に育って欲しいと望む父母のアンケート調査結果でも明らかだ。
 いまの政策は、学力テストによって学校間に競争を持ち込もうとしているが、どんなテストなのかが問われずに、点数が出れば点数だけが一人歩きしていくに違いない。そうなれば、学校が、中味ではなく、外見で評価がされるようになるだろう。教育とは、そんなに単純なものなのだろうか。
 今日の日本において、不登校はめずらしいものでななくなってしまった。けれども、たとえば40年前には、不登校なんて少なかったし、学校での盗難なども皆無だった。今は大変残念ながら、不登校も、学校での盗難も、ごく普通の日常的な風景に過ぎない。
 教員給与に差がつけば、教師は意欲的になるのだろうか。教師が意欲的になるのは、教育活動がうまくいって、子どもや保護者から評価されたときである。だから教師が働きやすいように条件整備にお金を使うべきなのだ。
給与査定のような政策が導入されたら、子どもたちと教師たちは、さらにストレスを抱え、学校が絶望的な場所になっていくに違いない。
 また大学教員の給与で、60歳以上で2割、63歳以上で3割の削減ということらしいが、これでは、経験豊かな教員たちが辞めることに拍車がかかってしまう。これも大変失礼な話であるし、若い力と経験豊かなベテランの協働作業が必要であるのに、これでは、必要な人材が現場からいなくなってしまう。それで教育がうまくまわっていくはずもない。