参議院選挙において、年金問題は争点か

あじさい

 参議院選挙において、年金問題は果たして争点なのか*1
 当然のことながら、年金問題に対する国民の関心は高い。年金問題は、生活に直結する問題だから、これは当然だ。年金は、基本的人権の中でも中核的な権利、生存権を支える基本的条件であるから、私たちは無関心ではいられない。
 しかし、そうした大切な年金の今回の「消えた年金」問題は、こともあろうに政府によって、国民が詐欺にあっているようなものだ。だから、国民の不安と怒りは納まらない。
 言う必要もないことだけれど、これは国民の側の責任ではない。
 将来的な問題はあるかもしれないが、今回の問題は、どういう年金制度がよいのかという政策の問題でもない。
 どの政党がよいかという選択の問題でもない。
 政府が長年おこなってきた過去の責任の問題だ。過去におこなわれた処理に対して、詐欺をしないように対応する責任の問題だから、国民側から言わせれば、政府の責任追及の問題なのである。だから、国民がきちんと責任を追及するのか、あるいは、いい加減な政府をいい加減に許すのかという問題であるから、争点ではありえない。
 きちんと責任を追及するのであれば、そんな政権は支持しないことだ。つまり、言いたいことは、リコールの範疇の問題ではないのかということである。

  • お金を払って商品を受け取る。
  • お金を支払ったら、受領書(レシート)をもらう。長期間支払い続けるのであれば、相手方から時々フィードバックしてもらって、報告書をもらう。
  • 保険金を支払ったら、そのリターンがどうなりそうか、事前に明確にしてもらう。
  • 自分で支払った保険金は、自分が申請しなくても、受け取れる。

 以上、前にもメモ風に書いたけれど、こんなことは常識ではないのか。

 すなわち、年金問題は、政府の管理能力、処理能力、責任能力が無能であったという問題だ。
 政府に、管理能力、処理能力、責任能力がないとすれば、それはリコールに値するというのが常識的な判断だ。
 この政権与党の責任は、長年の政権与党の責任、当然小泉元首相の責任も含まれる。
 だから今回の年金問題は、私に言わせれば、争点ではなく、これまでの政権に対してNoという審判を下す判断の問題である。
 国民の年金保険料を責任もって管理できない、お粗末な政権に対して寛容でありたいという方たちは、現政権を支持すればよい。政府が振り込め詐欺政権でも結構という方々は、現政権を支持しよう。
 しかし、そんなお粗末政権はごめんだという方たちは、そんな無責任政権を支持してはならない。
 選挙でそうした意思を示すことができるのか否か、それこそが問われている問題点だ。

*1:これはレトリックで言っているのであって、今回の年金問題が争点であることは、いわば大前提である。リコールの問題になるような大きな問題であると私自身認識しているので、あれやこれやと選ぶ小さな争点ではないということが言いたくて、こうしたレトリックを使った。最近、レトリックや皮肉が通じにくくなっているので、念のために断り書きを書いた。