さようならかな、朝日新聞

amamu2012-07-17

 昨日は、たまたま所用があって、「さようなら原発10万人集会」に参加できなかった。
 私の友人・知人は結構集会に参加していたし、私自身も集会に誘われたけれど、所用があって参加できなかった。
 残念ながら集会には参加できなかったのだが、瀬戸内寂聴さん、大江健三郎さんの呼びかけを聞いた。昨日の猛暑だ。参加された方々はさぞ日差しが痛かったろう。
 ネットの動画で観たのだが、音楽家坂本龍一さんの「福島のあとに沈黙しているのは野蛮だというのが私の信条です」(坂本龍一)という言葉が胸に響いた。
その通りである。
「福島のあとに沈黙しているのは野蛮」である。俺は音楽的には坂本さんのファンでもないけれど、これは否定できない。たしかに、福島のあとに沈黙していることは野蛮である。
これはメディアもジャーナリズムも同じだろう。
 それで考えたのは、この集会に関する朝日新聞の扱いである。
 翌日7月17日の朝日新聞の一面には、反原発集会のハの字もなく*1、39面の社会面に紙面の半分ほど報道されているだけ。16日に夕刊はあったのか、よくわからない。
 実は俺の祖父は、朝日新聞しか購読していなかった。俺の父親も朝日新聞しか購読したことはない。そして、俺も数社他の新聞は読んでいるにしても、朝日は欠かしたことはない。小学生時代より信頼する記者もいた。
 信頼する友人からは朝日と日経とどこが違うのと数年前に言われたこともある。それもわかっていたが、朝日のファンだった。
 だから朝日は一貫して購読してきた。このブログでも、どこの新聞でもよいのだが、写真は朝日新聞のものを使ってきたし、朝日新聞の引用もしてきた。一般紙では朝日をよく読むので当然だ。
 でも本日の朝日新聞(朝刊)の反原発集会の扱いをみたら、親子三代、一般紙は朝日新聞しか購読したことがなかったけれど、アホらしくてもう購読を止めようと思った。朝日新聞がリベラルだというのは、もはや全くの幻想に過ぎない。
 大変残念だが、そう判断せざるをえない。

*1:一面の索引にも反原発集会の紹介はなかったが、「天声人語」は長崎の被爆福島原発事故について触れ、7月16日の「さようなら原発」集会について紹介していることに気がついた。坂本龍一さんの「福島のあと沈黙していることは野蛮だ」というコトバも紹介していた。しかし、なぜ一般の記事として、重視して扱わないのか、わからない。それはジャーナリズムとして、「沈黙」につながる行為にならないのだろうか。