黒田の会見でのやり取りは次の通り。
――8年ぶりの復帰です。
「ファンの人たちの熱気は広島に帰ってきて一段と強いなと感じた」
――いまの気持ちは?
「まずは報道陣の多さに驚いている。いままでカープ、ドジャース、ヤンキースと経験したなかで一番多いので戸惑っています。当然、緊張もします」
――1カ月前はカープに戻る実感がないと言っていましたが。
「広島に来る日まで、いろいろともやもやした気持ちもありました。自分の決断がこれでよかったのかと考えることもあったが、広島に来てファンの声を聞いてこれでよかったと思う」
――今朝、松田オーナーにあいさつした際、どんな会話をしましたか。
「オーナーも優勝するぞという気持ちを強く持っていて、最後もしっかりと握手をして、優勝しようと言われたので僕も胸が熱くなった」
――改めてカープ復帰を決めた要因は?
「最後はファンの人たち、球団の熱意もあった。2006年にファンのひとたちに心を動かしてもらったので(フリーエージェント権を取得した黒田の残留を願うフラッグやプラカードがシーズン最終戦で掲げられ、この年は大リーグ挑戦を見送った)、今度は自分がファンの気持ちを動かせればいいかなと。それが一番大きい」
――決断したのはいつですか。
「鈴木(球団本部長)さんに電話をした昨年12月26日ですね。一応、気持ちを決めたと思っていても、1秒1秒、気持ちも変わっていたし、あとは電話をかけるしかないなと思っていた。電話では僕自身、言葉にならず、何を言っているかわからなかったが、毎年、声をかけてもらって、もう今年断れば二度と口をきいてくれないんじゃないかなという気持ちもあった」
――両親の墓前には報告しましたか。
「昨年オフ、アメリカに帰る前に行ったが、まったく答えが出ずにアメリカに戻った。両親がいればアドバイスをもらえたかもしれないが。両親ならどう言ったかなと考えたが、答えは出なかった」
――大リーグの7年間を振り返ると。
「一言で言うと、苦しかったですね。野球をやる以上、日本であろうがアメリカであろうが、マウンドに上がるということは大変です。言葉もわからず、体力的にも厳しいなかで162試合を戦ったが、挑戦する以上はそれなりの結果も出さないといけないので、勝手にプレッシャーをかけて7年間やったつもりなので。楽しい気持ちよりも苦しいことが多かった」
――成長した点は?
「いろんな経験をさせてもらった。なんとかアジャストしながら、少しずつ自分のスタイルを築いていけた。メンタル面でもドジャース、ヤンキースのローテーションで投げ続けてこられたことには苦しみながらも、ある程度やれた気持ちはある」