「雨の沖縄県民大会「知事の遺志継ぐ」 静かに怒り込めて」

amamu2018-08-12

 以下、朝日新聞デジタル版(2018年8月11日21時09分)から。

 時折激しい雨が降る中、多くの人が会場を埋めた。11日にあった米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設に反対する県民大会。直前に急逝した翁長雄志(おながたけし)知事への追悼ムードに包まれ、登壇者も参加者も、辺野古移設に反対し続けた「知事の遺志を継ぐ」と口をそろえた。

「自分たちで声を上げることが必要だと思った」

 参加者たちは那覇市の奥武山(おうのやま)陸上競技場に、辺野古の海をイメージするブルーの服や帽子を身につけて集まった。翁長氏を悼んで黙禱(もくとう)しながら、肩を震わせたり、涙をぬぐったりする人もいた。

 あいさつに立った翁長氏の次男で那覇市議の雄治(たけはる)さん(31)は「残念な結果となりました」と言葉を詰まらせ、「父は生前『沖縄は試練の連続だが、ウチナーンチュ(沖縄の人)が心を一つにして闘うとき、想像するよりも大きな力になる』と何度も言っていた。辺野古新基地建設が止められたと父に報告できるよう頑張ろう」と呼びかけた。

 名護市の学童指導員比嘉陽子さん(40)は娘の中学2年陽華(ひなか)さん(14)、小学5年仁紅(にこ)さん(10)と初めて県民大会に参加した。「私たちの気持ちを代弁してくれた翁長知事が亡くなり、自分たちで声を上げることが必要だと思った」

 美しい辺野古の自然は、一度奪われれば元には戻せない。一方で2月の名護市長選では、移設を事実上容認する候補が当選した。周囲には「反対しても意味がない」と無力感を語る人もいる。陽華さんにも「別にいいじゃん」と語る友人がいるという。だが、会場に来て「こんなに声を上げる人がいると思わなかった」と驚いた。「自然を守っていくため、こういう動きが広がってほしい」

 読谷村(よみたんそん)の福祉相談員大城貴子さん(58)は、翁長氏への弔意を示すため黒いシャツとズボン姿で参加した。「翁長知事は最後の力を振り絞って理不尽を訴え続けた。遺志を無駄にしてはいけない」と話した。

 地元出版社編集長の新城(しんじょう)和博さん(55)は、少女暴行事件に抗議した1995年の県民大会以降、様々な大会に参加してきた。今回は杖をついた高齢の男性や、1本の傘で雨をしのぐ親子連れ、黙禱の時に泣く女性など、強い意思を感じさせる参加者の姿が印象的だったという。「今回は特にしんみりとして、整然と行われたと感じた。沖縄の静かな怒りが込められた大会として語り継がれると思う」と話した。

米軍ヘリの窓落下事故「魔法が解けた」

 県民大会には、普天間飛行場に隣接し、昨年12月に米軍ヘリの窓落下事故があった普天間第二小学校に春まで勤めていた教員の姿もあった。

 2年生の担任だった仲本喜美子さん(62)。あの日の午前10時すぎ、「運動場に何かが落ちた!」という声で職員室から外に出た。体育の授業中だった2年生と4年生計約60人が、叫びながら校舎に逃げ込んだ。運動場のほぼ中央に落ちた窓は重さ約8キロ。「まさか」としか言葉が出なかった。

 宜野湾市普天間生まれ。大学卒業後に教員となり、普天間飛行場オスプレイが配備された翌年の2013年4月に普天間第二小に赴任した。校舎からフェンス越しに銃を持ち行進する軍人が見え、上空を米軍機が通過する。「異常だ」と感じつつ、それが日常になっていた。

 だが、事故によって「魔法が解けた」。事故後に児童が書いた作文を読んだ。「ぼくはあんぜんで、けがのない小学校がいいです」「どんな国でもこんなあぶないことはおきないでほしい」……。いてもたってもいられなくなり、地元紙に内容を紹介する手記を投稿した。「目の前で起きたことと児童の気持ちを、きちんと伝えなければいけない」と思ってのことだ。

 別の小学校に転勤後も、普天間第二小の保護者らと定期的に会い、どうすれば子どもたちが安全でいられるか考え続けている。9日には普天間飛行場の移設工事が進む名護市辺野古を見に行った。埋め立て予定地のそばにも、家々や学校があった。

 「子どもたちに基地を当たり前の存在と思わせてはいけない。これ以上沖縄に基地を造るのはやめて」。そんな思いでこの日、「辺野古新基地NO!」のメッセージボードを掲げた。