以下、朝日新聞デジタル版(2020/5/29 5:00)から。
小田嶋隆さん
■東京大会に、一言「意義があるとしたら、今の五輪の枠組みに引導を渡すことか。商業主義から離れ、規模を小さくして正常化するための最初の大会にできるかもしれない」
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延期決定までのドタバタから、政府、東京都、組織委員会に国際オリンピック委員会(IOC)と電通も加えて、東京大会に関わる組織のガバナンスはどうなっているのか、という問題が見えた。全員悪役の映画を見ているような気持ちだ。追加経費を巡るやりとりについても、検証されないまま放置されている。
どこにリーダーシップがあって、誰が責任を持って決断し、どんな風に話が進んでいるのかがわかりにくい構造になっている。
そもそも東京大会については招致段階から反対だ。
全部うやむやにして、書類まで焼いてしまった長野五輪の嫌な記憶がある。石原慎太郎都知事(当時)が招致を言い出した時の「この国には夢の力が必要だ」みたいなかけ声は、国家主義丸出しのどうしようもないものだった。安倍政権の五輪への乗っかり方もすごく気持ち悪い。五輪を言い訳や口実にして、いろんなことを一挙にやろうとする下心が露骨に見える。
朝日新聞を含めた全国紙4社も「東京2020オリンピックオフィシャルパートナー」として乗っかっている。メディアとの不健康な関係も反対する理由だ。
五輪がアマチュアスポーツの祭典ではなくなって久しいし、近年の大会は弊害しか見えない。どんなに絵がきれいでも、額縁が嫌いだと見たくなくなる。世界のトップ選手が会する五輪は絵として素晴らしいのに、腐った額縁で提供していいのかということだ。
商業主義に走る前までは五輪には意味があった。1964年の東京五輪で印象に残るのは、世界にはいろんな競技があってすごい選手がいるという驚きだ。それがスポーツの素朴なおもしろさだった。
いまは各競技のワールドカップや世界選手権の方がスポーツを純粋に楽しむための枠組みが機能している。五輪となると、国だとか、メダル数だとか、もうかるもうからないという金の話になってしまう。スポーツをスポイルしている最たるものが五輪だ。
新型コロナはグローバリズムを見直すきっかけになった。垣根を取っ払えばすべていいわけではないと、ウイルスは人類を叱っているわけだ。五輪はグローバリズムのグロテスクな側面の象徴のようなもの。米国の4大スポーツやサッカー、ゴルフ、テニスなどお金の取れる競技は入れず、マイナー競技が集まれば、いい大会になる。(聞き手・構成 編集委員・潮智史)
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おだじま・たかし 1956年生まれ、コラムニスト。政治や社会、スポーツなど幅広い分野を鋭く批評する。サッカー好きでも知られる。著書に「小田嶋隆のコラムの切り口」「地雷を踏む勇気」など。