昨日のマオリ語による口頭発表について書く。
一言でいうと、これは何から何まで、私の職場でやっているオーラルコミュニケーションの授業課題と同じであった。だから教師の私が生徒の立場に自分を置いて、口頭発表してみたということになる。
「さて誰から先にやろうか」と講師に聞かれたら、間髪入れずに、率先して私はボランタリー精神を発揮して、発表をしようと思っていた。
戦略というほどのこともないが、クラス内でおそらく私がマオリ語を話すスピードが一番遅いから、順番が最後の方になればなるほどプレッシャーがかかってしまう。後からの発表では、下手さ加減が目立つだろうが、最初の発表なら、他の生徒の発表と比較すらできない。実際わたしは自分の発表内容を覚えるのに精一杯で、頭の中でマオリ語を組み立てているくらいだから、それをいかにゆっくりと落ち着いて喋っているかのように見せかけるかに神経を使ってみたのである。
教室に入ると、教室にはすでに三人の生徒が来ていた。マオリの女性と、ハワイ出身のアリス。それから課題を手伝ってもらったマオリ男性のジュピター。私に続いてマオリのマーカが入室してきた。少し遅れていつもはきはきしているマオリのジャッキー(仮名)と、白人女性のエリザベス(仮名)。このエリザベスは、私とどっこいのマオリ語の習熟度だから、今日はしんどいねとばかり、彼女に私は目配せをした。エリザベスはニュージーランドに住んでいるようだけど、私の観察では、マオリではない。外からやって来た外国人は、アリスだけだから、外国人は私も入れて二人だけだが、ハワイ出身のアリスは私よりもマオリ語の上達が早い。彼女はハワイ語も堪能のようだから、そうした基礎教養の違いがあるのかもしれない。
さて講師のフレッド(仮名)は、私の期待に反して、機械的に、来た順番に発表させる方針のようだ。
マオリの女性はもちろんのこと、アリスはやはり上手だ。人格全体が表現力豊かといえば、わかってもらえるだろうか。彼女は、とても明るくて積極的なのだ。
ジュピターはボソボソ話しているが、もともとマオリだから、これも合格点。マーカは昨日の授業で私の隣に座っていたので、私が動詞の意味を質問しても、いくつかの動詞を知らなかったし、私が理解できた文法の講義説明でも、「混乱しちゃった」と講師のヘミに正直に述べていたようなマオリ青年だけど、やはり発表は問題ない。
そしていよいよ私の順番。
私は家を出て教室に入室するまで、暗唱文の紙切れはコートの内ポケットに入れてきたけれど、一回も見ていない。緊張しているわけでもないが、マオリ語なんて一体全体口から出てくるのかという心境になった。
みなの前に歩み出て、講師とクラスメートにゆっくりとマオリ語で挨拶をしてから、自己紹介と家族紹介を私は始めた。少し間があいたこともあったけれど、なんとか、流して発表をできたようだ。他のみんなの発表と同じように拍手をもらえた。
ひと安心して、次のジャッキーの発表を聞くと、マオリである彼女の発表は、家族が多いことやマラエの説明が長いこともあって、よどみない。それに私のような単純な発表ではないので、聞いていても、よくわからない箇所が少なくない。やはりマオリとは文化的にも言語的にも格差がある。まず、スピードが違う。ただ、イギリス語のときに感じるスピードの格差とは、格段に違う。イギリス語はとても早く感じるのだが、マオリ語の場合、極端に早いという印象はない。マオリ語と日本語とは、リズム感・スピード感で、あまり格差を感じない気がする。
最後は、エリザベスの発表だったが、彼女の発表は最後が少し腰砕けで、エリザベスは、最後は笑ってごまかしていた。彼女の心境は、到達度が近い私だからこそよく理解できる。
講師のフレッドは、講師といってもチュートリアル担当だから、自分自身ワイカト大学(The University of Waikato)の学生で、手伝いといった風だ。おそらく外国語指導法は正規に学んでいないに違いない。人格的に悪いわけではないけれど、外国語のできない悲しみみたいなものを理解できていないふしがある。単に性格上のことかもしれないが、いつももの静かで淡々としている。
これはフレッドのことでは全くないのだけれど、こんな私だから、外国語で苦労したことのないような奴に講師をやってもらいたくないと思っている。外国語の学習は、たとえモノにならなくても、母語の重要性がわかるだけでも大切だし、たとえ片言でも、どれほどその片言が重要かということも理解できるから、外国語学習は意味がある。日本語の「ありがとう」の一言でも、深い気持ちを伝えられるのだ。片言をなめてはいけない。