テ カウファタをめざして出発したが、テ カウファタをとっくに過ぎ、ラマラマまで行ってしまう

ランギリリ土地戦争ゆかりの墓地

 自分の車があるし、中間休みなので、昨日はテ カウファタ(Te Kauwhata)をめざして出発した。
 私の愛読書のひとつであるロンリープラネットに、9行にわたってランギリリ戦場跡地センター(Rangiriri Battle Site Heritage Centre)の解説がしてあり、それによれば、イギリス軍とマオリとの間で戦われたマオリ土地戦争(ニュージーランド戦争)について、このセンターでかなり学べるはずというようなことが書いてある。フィールドワーク基礎編として、ワイカト博物館の次に訪れるところとしては最適だろう。
 テカウファタとランギリリ*1は、ハミルトン(キリキリロア)からオークランドに向かう1号線の途中にあり、ハミルトンからは60キロほどの距離だ。自分で焼いた音楽CDが数枚車のボックスに入っているが、1枚のCDを全部聞けないくらいの時間で着くはずだ。
 BGMに選んだものは、スティービー=ワンダー(Stevie Wonder)の”Love’s in Need of Love Today”、”Village Ghetto Land”、U2の”Sunday Bloody Sunday”、”Pride(In the Name of Love)”、ニール=ヤング(Neil Young)の”Ohio”、ユッスー=ンドゥール(Youssou N’Dour)の”Toxiques”、ポール=ブラディ(Paul Brady)の”Nothing but the Same Story”など、基本的に「怒り」がベースにある唄を私が選んで焼いたCDだ。今日の旅に一番ふさわしいのは、ニールヤングの”Powderfinger”かもしれない。
 ナルワヒア(Ngaruawahia)というマオリの女王がいる有名な町は別の機会に訪れるとして、今回は通り過ぎ、講師のヘミが推薦していたタウピリ(Taupiri)という町も過ぎて、テ カウファタに向かった。
 オークランド方面へ車を走らせ、メレメレ(Meremere)、ポケノ(Pokeno)、ボンベイ(Bombay)を過ぎると、どうやらオークランド郊外の端っこに来てしまっていることに気がついた。通り過ぎたかと思い、ラマラマ(Ramarama)というところでエクスプレスウェイから離れて出口(exit)に向かい、降りてみた。降りると言っても、料金所があるわけではないし、ただ本道をはずれるだけだ。はずれると、ほとんど車は見かけない。地図を見ると、テ カウファタはとっくに通り過ぎていることがわかった。やはりすでにオークランド郊外の端っこで、オークランド空港もすぐとは言わないけれど、眼と鼻の先だ。
 そのまま工事現場のようなところに車を止めて、昼飯にする。車を走らせていればカフェも見つかるのだが、暖かいミルクティーを魔法瓶に詰めて、チーズとマーマイト、ピーナッツバターと蜂蜜、ブルーベリージャムなどのサンドイッチを3組ほど弁当箱に入れてきていた。これを昼食として車内で食べる。
 テ カウファタは、マオリ語のテープで何回も聞いた地名だから覚えているのだが、出口の掲示が繰り返されるようなことがないほどの小さな町らしい。昼飯を済ませて、1号線をハミルトン方向に、来た道をかなり戻って、ようやくテ カウファタへの出口を見つけ、1号線を少し離れて電車の線路を横切ると、テ カウファタのインフォメーションセンターがあった。
 インフォメーションセンターの前に車を止め、中に入って、「ランギリリ戦場跡地センター」(Rangiriri Battle Site Heritage Centre)に行きたいのですけど」と言ったら、小さなパンフレットをくれた。そこにかいてある地図で行き先を教えてもらった。
 再度車に乗ってすぐに着くのかと思ったら、道がまたよくわからない。観光地にあるような方向指示の掲示が全くといってよいほど見当たらないし、パンフレットの地図も、絵の様な地図で、正確な地図ではない。「地図は実寸ではありません」とわざわざ断り書きがしてあるくらいなのである。初めて来る土地で、方向指示の掲示もなければ、何も手がかりがない中で進んでいるようなものだ。
 1号線に戻ってしまい、どうやらまた大分ハミルトン寄りに戻ってしまったらしい。再度オークランド方面に方向転換して、適当なところで曲がって、ある村に戻ると大きな地図が掲示されている。どうやらここがランギリリらしい。
 近くにホテルらしきものがあり、みると横にマオリ土地戦争で亡くなったイギリス人の墓地がある。町内会の掲示板に掲示物として、「ランギリリの戦い」という印刷物が掲示してあった。マオリ土地戦争のあったこの辺は、あちこちに墓地があるに違いないと思った私はその墓地の写真を撮影したけれど、博物館らしき建物は見当たらないので、再度テ カウファタのインフォメーションセンターに戻り、センターはどこにあるのかと再度聞くと、どうやらすでに私が行ったホテルや墓地、掲示板のあったところにあるらしい。私の愛読書のひとつロンリープラネットガイドブックにしっかりと書いてあったので、結構立派な博物館を想像していたのがそもそもの間違いのもとだった。1号線沿いに標識がしっかり出てないのも当たり前だ。ここは国立公園でも、観光地でもないのである。
 再度、村に戻ると、ホテルの横にカフェがある。近くにいる人に聞くと、どうやらそのカフェがセンターらしかった。

*1:Rangiririの地名は、マオリ語で、rangiがskyであり、ririがangryの意味だから、「怒れる空」(The angry sky)という意味になる。まさにランギリリにふさわしい名前と思う。