Rangiriri

マオリ土地戦争ゆかりの地を訪ね歩く−その2−

Site 7-Rangiriri*1 ランギリリの闘い*2はすでに紹介したが、流れの関係で再度触れておく。以下の内容も、小冊子’The Waikato War of 1863-64’を参考にして書いている。 1863年11月20日、キャメロン将軍指揮下の部隊が、メレメレからランギリリに向かって行…

ランギリリでお茶にして、一日を振り返る

メレメレから車で15キロほど1号線を南下し、帰りがけにランギリリの戦場跡センターに寄ってみた。 休憩としてお茶を飲んだのだが、センターの所長は中東に出かけていて、あいにく留守だった。 このカフェに飾ってあるウィレム=タミハナの肖像画やキャメロン…

うなぎを食べる話

マオリはうなぎも食べるという話になったときに、彼もうなぎは好きだといって、フリーザーを見せてもらった。この冷凍庫はジュディの家にあるのと同じくらいの大きさだったが、冷凍うなぎが三匹ほどパックされているものが中に入っていた。なんでも、この近…

ボランティア活動で歴史を伝える

ジョンはオークランドに住んでいて、76歳だという。いわばここがセカンドハウスで、このプロジェクトは10年越しのプロジェクトだという。 パンフレットにも学校訪問者を歓迎すると書いてあるから、いわばボランティア活動である。ワイカト大学(The Universi…

ランギリリの戦い

彼の書いた「ランギリリの戦い」から紹介しよう。これは教会の墓地の掲示板に貼ってあったものと同じ資料だ。 1850年代にヨーロッパからの移民が大量にやって来て、1860年代初頭には自分たちにも相応の土地が与えられるべきと植民地政府に圧力を加えていた。…

ようやくランギリリ戦場跡地センターにたどり着く

こうしてハミルトンから60キロほどの距離なのに、1号線を行ったり来たりして、160キロも走ってしまった。それほど走ったつもりはないのだけれど、道に迷って100キロもオーバーするとはニュージーランドらしい。マーガレットも言っていたけれど、道を間違え…

テ カウファタをめざして出発したが、テ カウファタをとっくに過ぎ、ラマラマまで行ってしまう

自分の車があるし、中間休みなので、昨日はテ カウファタ(Te Kauwhata)をめざして出発した。 私の愛読書のひとつであるロンリープラネットに、9行にわたってランギリリ戦場跡地センター(Rangiriri Battle Site Heritage Centre)の解説がしてあり、それによれ…