ようやくランギリリ戦場跡地センターにたどり着く

 こうしてハミルトンから60キロほどの距離なのに、1号線を行ったり来たりして、160キロも走ってしまった。それほど走ったつもりはないのだけれど、道に迷って100キロもオーバーするとはニュージーランドらしい。マーガレットも言っていたけれど、道を間違えたにしても世界の終わりではないのだからパニックにおちいる必要はない。ニュージーランドでは、来た道を戻ればいいだけだ。彼女の旦那のジェフの話でも、友達の一人に、オークランドで道に迷ってしまってオークランド市内を3時間もぐるぐる回ってしまった経験をもつ奴がいたとのことだ。私は腹をかかえて大笑いをしたのだけれど、これから比べれば、私なんかまだいい方かもしれない。
 カフェに入ると、白人の男性と女性がいる。客は一人だけ。
 「ここがランギリリ戦場跡地センターですか」と聞くと、そうだという。中を見ると、飲んだり食べたりするテーブルと椅子が並んでいる中、壁にイギリスの国旗が掲示してあったり、軍服が飾ってあり、ジオラマや、歴史的な資料がたくさん掲示してある。コーヒーを頼んで、資料を見ていると、先ほどの女性がやってきて、自分の亭主は歴史を教えていた元教員で、歴史に興味があるならと裏手の別室に案内された。壁には掲示物がたくさんあり、テーブルには、雑然と資料が置いてある。一見して、高校文化祭の展示準備状況80%の完成度という感じだ。マオリ土地戦争を紹介した映画も上映できるという。
 自分の旦那は10年かけて、いろいろな資料を集めて、センターを作っているのだという。そういうことかと、私は初めて事情を理解した。
 その部屋で展示物をながめていると、旦那がやって来て、いろいろと話をした。
 彼の名前はジョン(仮名)といった。
 ジョンはインド生まれだというが、もともとはイングランドだという。大英連邦の名残りのような仕事を父親がしていて、そのためにインドで生まれて育ったという。
 雑然と本もたくさん置いてあって、書物で初めてランギリリの戦いを紹介した本だとか、いろいろと紹介してくれた。実際のランギリリの砦の様子や砦での戦いがどのようだったかと地図などで説明してある。
 そもそもはニュージーランドの北島の北端の方で白人は自分しかいないような町の中学で歴史を教えていたという。そこでマオリ語も学んだらしい。マオリは美形が多いなどと、マオリに偏見はないようだ。
 ジョンはオークランドに住んでいて、ここには毎日通っているという。自分で制作したのだが、20分ほどの映画を見るかというので見せてもらった。「いくらなの」と聞くと、「普通は2ドルだが、あんたは学生だからいい」と言ってくれた。
 椅子がいくつか並んでいるうちの前から二列目に私は座った。すると上映前にジョンがわざわざ私の眼の前でランギリリの戦いの説明をし出した。これじゃまるで、いい企画なのに客の入りが少ない高校文化祭の企画状態だ。
 映画はなかなか完成度が高く、なるほどランギリリでの戦いがよくわかる。ジョン自らナレーションをしているのだが、なかなか声がいい。マオリ語の発音もとても上手だ。最後の方で、1920年代くらいの古いレコードを使ったアイリッシュ音楽をベースにしたマオリの歌が泣かせる。この唄は、最初マオリ語で字幕が出され、のちにイギリス語で翻訳が字幕で紹介されるという配慮がされていた。
 エンディングは、ジョンのナレーションで「過去は過去」。これからのニュージーランドという社会をどのように作っていくのかが大事であるというような結びだった。
 最初は私しか観客がいなかったのに、映画が終わると3人ほどマオリの女性が後ろに座っていた。「すばらしいわね。これをあなたが作ったの」などとジョンに感想を言っている。「彼はマオリ語を習っているんだ」などとジョンは私のことを彼女たちに紹介してくれたので、私も彼女たちに向かって微笑んだ。