一方のマオリにとって、ワイカト戦争とはどういう意味をもつものなのか。Judith Bassett, Keith Sinclair, Marcia StensonのThe Story of New Zealandには、次のような記述がある。
「マオリはこの土地没収をけっして忘れることはない。それは、ワイタンギ条約に反していたからである」”(Maoris never forgave this confiscation of land. It went quite against the Treaty of Waitangi.”)
The Story of New Zealandによれば、1850年代に、パケハの人口は増加し、1858年には、マオリの約5万6000人という人口を追い越したと、ある。
先に紹介したように、タラナキに住むマオリは、子孫のために、土地を売ることを拒んだ者が多く、抵抗も強かった。
マオリの中には土地を喜んで売り、金を手にしたものもいるけれど、当時の資料として、タラナキの南に住むあるマオリが、政府の土地購買者のロバート=パリス(Robert Parris)という人物に宛てた手紙に、次のような記述がある。
「これらは聖なる場所なのです、パリス。これらの土地の守護者は、低木のツタであり、イラクサであり、シダなのです。これらの聖なる場所の守護者は、爬虫類であり、ウェタであり、クモであり、タニファ(海の怪獣)であり、大とかげなのです」(“These are tapu places, Parris. The guardians of these lands are bush layers (vines), nettles, tree ferns; the guardians of the sacred place are reptiles, weta*1, spiders, taniwha*2 (sea monsters), great lizards.”)
マオリからすれば、ワイレム=キンギが「私と仲間が死ぬとしても、われわれはニュージーランド*3のために死ぬのだ」(What though my people and I may die, we die for New Zealand.)と述べたように、「死ぬまでニュージーランドのために戦う」(fight for New Zealand to the death)という決意が当時のマオリの心情だったろう。彼らが先住民であり、ヨーロッパ系移民は、あとからやって来たのであるから。
不勉強でまだ十分にはわからないのだが、ワイタンギ条約をめぐって、今日、その解釈に大きな議論があり、また土地問題も今日的な問題であり続けているのは、こうした歴史的な経緯があってのことなのだろう。
だから、マオリにとっては、土地戦争は終結したとは言えない。
土地戦争は、今日なお、続いているのである。