ワイタンギ・デーにワイタンギで私が考えた「アオテアロアとニュージーランド」という基本概念についても、聞いてみた。
つまり、先住民であるマオリ、そのマオリのクペの妻がアオテアロアと呼んだ土地を、ヨーロッパ系白人であるオランダがノヴァ・ゼランドと呼んだ。それをイギリス人が、イギリス語式に読み方を変え、アオテアロアをイギリス化(Anglicize)させ、いわばニュージーランド化させたのが、現在のニュージーランドではないかと。
アオテアロアのイギリス化・ニュージーランド化は進み、今日、もちろんアオテアロアという名称よりも、ニュージーランドという名称の方が国際的に認知されている。このことを確認した上で、この国立図書館のライブラリアンは、「ニュージーランド・アオテアロア」(New Zealand/Aotearoa)か、「アオテアロア・ニュージーランド」(Aotearoa/New Zealand)という名称がいいのではないかと言った。つまり、いわばこれは両論併記である。
そして、ニュージーランドの歴史では、ヨーロッパ系の白人に対するマオリの対応(response)として、いくつか記憶にとどめるべきものがあって、例えばそれは以下のようなものであると彼は述べた。
- 独立宣言
- ワイタンギ条約
- ルナンガ(Runanga)
- マオリキング運動
- 戦闘
- パイマリエ(Paimarire)
- ラタナ(Ratana)教や国会でのマオリのメンバー(Māori MP)、(Young Māori Leaders)などの政治運動
- 1960年代のNga Tama Toa(Brave Young Men)
「一般には、1872年頃にニュージーランド戦争は終わったと言われていますが、もちろん、ワイタンギ審判所などを中心に、ニュージーランド戦争は、まだ続いているという認識ですか」と私が質問をすると、マオリのこの青年ライブラリアンは、そうだと肯定した。