地元の中学校のミュージカル劇に感激する

 隣に住む11歳のサブリナは、ロトルア小旅行のときにケーシーの世話でお世話になった女の子だが、彼女も今夜の劇「アラジン」に商人役で出演するという。
 ニックが車で迎えに来てくれた。サブリナのお姉さんも一緒で、ハンナは昨日見たので今日は留守番らしい。
 学校に着くと、結構観客で賑わっている。小さな体育館内にアルミ製の特設長椅子を設置したような会場に、前方の床に舞台、背後に白い幕のスクリーン、左側に大人の指揮者と子どものオーケストラ、合唱隊が見える。出演者やスタッフは、11歳から13歳の男女の子どもたちだから、日本なら中学校という感じだ。公立の中学校としては、これはなかなか大掛かりなプロジェクトのように受け取った。なにしろ、9月13日から毎晩7時より4日間公演をおこなうのだという。
 アラジンのキャストはダブルキャストになっている。学校としてこれは必要な配慮だろう。なんといっても、子どもは病気になることがあるし、多くの子どもたちに活躍できる機会を与えるという配慮に違いない。
 「アラジン」は、貧しいけれど清い心をもったアラジンと宮殿を抜け出してきたお妃のジャスミンが最後は一緒になるというハッピーエンディングの話である。例のランプをこすると、魔人ジーニーが登場して願いを叶えてくれるという設定が有名だ。
 このストーリーが、ミュージカル仕立てで展開していく。背景には、子どもの描いた絵が、コンピュータ処理されていて、宮殿や市場など、簡単に場面設定がされる仕掛けになっている。ランプのひそむ洞窟などの場面で、ちょっとだけ岩の作り物が出てくるくらいだ。
 踊りは、ハーレムダンサーにまじって、ニュージーランドのマルチカルチャリズムとエスニシティを最大限に生かした、なんでもありのダンスが登場する。インド系女学生のダンスにまじって、アイリッシュダンスまでが飛び出した。市場の行商。ラクダのつくりものや、蛇使いに蛇。夜光塗料を生かした骸骨ダンスも披露されるというように、子どもたちができる材料を生かそうという指導者の配慮が理解できる*1
 劇の中で、シバが話題になるところでは、ところで日本にもシバがつく変な名前があるねということになって、何かなと思っていたら、「トーシバ」という冗談だった。なるほど、トーシバね。シバにアクセントが置かれることが多いから、確かにこれもシバという名前に違いない。

    • キャスト    50人
    • オーケストラ 13人
    • 合唱隊     28人
    • ダンサー   102人

 以上は、もらった印刷物からあげてみたのだが、ダンサーは、場面ごとのクレジットになっているから、重複があるかもしれない。とにかく、この劇が、学校総がかりによるものという、その規模がすごいと思う。

 他にも、いろいろな仕事のクレジットが掲載されている。このパンフレットも手作りだが、カットと、子どもたちや大人たちの名前しか掲載されていないところが、簡潔でいい。住所も電子メールのアドレスも何も書いてないシンプルなものだ。

 演技者以外にも以下のような項目で名前がクレジットされている。

    • 宣伝
    • チケットデザイン
    • プログラムデザイン
    • 照明
    • ビデオカメラ担当

 この素晴らしいミュージカルの立役者は、もちろん教師や大人たちで、以下のような項目で、製作チームは70人以上にものぼり、クレジットがされている。

    • 監督
    • 音楽
    • 振付
    • 合唱指導
    • コンピュータ処理
    • 衣装
    • 宣伝
    • 助監督
    • 舞台指導
    • 衣装スタッフ
    • 音響
    • 大道具
    • 舞台設営
    • メーキャップ
    • ヘアスタイル
    • 舞台裏

 ニュージーランドの夜はひっそりしている。一見すると地味で何も起こっていない感じだけれど、地元の人たちはこうして特定の時間に特定の場所に集まっても催し物をやっているのだろう。公立中学校の劇が夜の7時から学校で公演しているなんて、私には想像もつかなかった。そして、この舞台はかなり熱い。
 ダブルキャストだから、配役は日によって違うらしいが、アラジン役の白人の子は歌もうまかった。華奢な身体で、まだ変声期前なのだろう、帰りに話をしたニックの友人が「アラジンは女の子だったよね」と言っていたくらいだ。ニックは、「男の子だよ」とその友人に返事をしていたけれど。ジーニー役は中国系ニュージーランド人で、ジーニー役を楽しんで演じていて、とても良かった。ニュージーランドで彼は育ったのだろう。彼には、強いアクセント(訛り)がなかった。
 フィナーレは、観客も拍手喝采で迎え、子どもたちはみな満足そうな顔をしていて、最後は、合唱隊やオーケストラ、観客に対しても、惜しみない拍手を出演者全員がしていた。悪役の手下役の中国系の男の子がちょっと涙ぐんでいて、彼の気持ちが理解できた私にもぐっとくるものがあった。
 11歳から13歳というと、多感な時期である。身体も気持ちも、一人ひとりの成長の度合いも全く違う。当然のことながら彼らは未熟ではあるけれど、それでも大人の指導によってはものすごい力を出す年代だ。手作りの良さと集団の力の素晴らしさ、そしてなによりも、こうしたプロジェクト全体を組織・指導した教師集団、そしてそれを支える保護者や大人たちの力がすごい。
 「こうしたことをどの公立学校でもやっているの」と、公演後にニックに聞いたら、「最近はなにかやるようになっているようだね」と言っていた。「昔からあるの」と聞くと、「昔はなかった」という。「有能な教師たちですね」と私が言うと、「そうなんだよ」と頷いていた。
 劇は教育的でもある。こうした経験ができた子どもたちは幸せだ。
 実にいいものを見させてもらった夕べだった。

*1:これはあとから聞いた話だが、アラジンのような有名な話を上演するのは、版権の問題があり、高額な版権料を支払わないといけない。だから話が原作から離れれば離れるほど、版権上は都合がよいことになる。したがって、原作から離れたこうした演出は、版権料が安くなるということでも歓迎されるようだ。