アイリッシュが「グッドモーニング」で話題になっていた

Solas

 今朝の1チャンネルの「グッドモーニング」で、歴史家が出てきてアイルランドの移民について少しだけ話をしていた。
 19世紀に起こった大飢饉(The Great Famine)は、ジャガイモがダメになるという自然災害的な側面はもちろんあったけれど、イギリスに過酷に支配されていたアイルランドをイギリスが見捨てたという側面があるから、実は社会問題なんだと当のアイルランド人たちは把握している。当時の貧困の中であえいで食えないアイルランド人たちは、アメリカ合州国やオーストラリアに出ていかざるをえなかった。その流れでニュージーランドにもアイルランドから移民が来ているわけだ。
 ニュージーランドへの移民は、ゴールドラッシュの時期に、ニュージーランドの南島の西海岸への移民が目立ち、北島ではベイオブプレンティ(Bay of Plenty)への移民が多かったという。たしかオタゴ半島近くの山の方で金が発見されて、中国人労働者なども駆り出されたという話を前にロンリープラネットか何かで読んだことがある。
 歴史的には、オーストラリアのシドニーからニュージーランドオークランドへという流れが強いようだ*1。私のリスニングに間違いがなければ、歴史的な町として知られるケリケリ*2(Kerikeri)にもアイリッシュ系移民が多いと言っていた。
 こうした移民の生活を綴ったものの中に、“My Simple Life in New Zealand”という本があるらしい。
 ニュージーランドには、10万人くらいの移民があったようだから、今日のニュージーランド人の中でアイリッシュ系は100万人単位にのぼるだろうと言っていた。私の聞き取りに間違いがなければ、これは大変な数だ。ニュージーランドの全人口が400万として4人に1人が、アイリッシュに関係していることになる。
 イギリス系やスコットランド系にプロテスタントが多く、アイリッシュカトリックが多いのは、いわば常識だけれど、ニュージーランドに移民したアイリッシュは、偏見から逃れるためなのか、プロテスタントが多かったという。
 ニューヨークの警官にアイリッシュが多いというのも有名な話だけれど、ここニュージーランドでも当初、警察官にアイリッシュが多かったようだ。それに相対するかのように、「受刑者」(convicts)にもアイリッシュが多かったという。移民が多かった時代のイギリスは、コソ泥などの罪で「受刑者」になった者が多い。いわば都市化から犯罪が増えたということなのだろうけれど、オーストラリアのタスマニアには、ポートアーサー(Port Arthur)などの当時の牢屋の跡地もあるし、タスマニアを車で旅して、あちこちで眼にする歴史的な石橋は、この「受刑者」(convicts)たちが作ったものが多かった。いわば彼らは「流刑者」でもあったわけだ。
 歴代の首相をはじめとして、政治家の中にもアイリッシュ系が少なくないという。
 たったの2週間ほどだけれど、私は家族と一緒にアイルランドを車で旅したことがあり、アイルランドのパブ文化、とりわけ音楽のレベルの高さに感銘を受けたことがある。U2はもちろんのこと、ドーナル=ラニー(Donal Lunny)などのアイリッシュの音楽や、アメリカ合州国アイリッシュ系のバンド・ソーラス(Solas)が特にお気に入りなのだけれど、アイルランドはクレア地方のミルタウンマラベイなんかは一見すると何もない田舎町だったけれど、音楽の聖地と言えるほどレベルが高かった。このミルタウンマラベイは、アイリッシュダンスや音楽のサマースクールでとても有名なところだ。
 アイリッシュの音楽にはいいものがたくさんあるが、初めて聞くのなら、ドーナル=ラニーの「ドーナル・ラニー・クールフィン」がお薦めだ。

Coolfin (1998)

 ソーラスなら何でもいいのだが、デビューアルバムと言われている「ソーラス」 、「ザ・ワーズ・ザット・リメイン」を聞いてみてほしい。とくにフォーク系のものが好きな人には絶対にお薦めだ。

The Words That Remain (1998)

 アイリッシュダンスセントパトリックデーは、ここニュージーランドでも大きな盛り上がりをみせるようだ。
 気候・風景ともに、ニュージーランドアイルランドは似ていると歴史家が述べて、とくに「ともに雨が多いんですね」と発言した際に、歴史家と一緒にアナウンサーが笑った。
 1チャンネルの「グッドモーニング」という番組は、料理教室なんかもまざっている気軽な番組である。今日のインタビューだって、一番痩せることのできた女性の経験談がテーマで、いつものように視聴者から電話で質問を受けていた。
 ニュージーランドアイリッシュがどういう状況なのかということを除けば、アイルランド本国についてこの歴史家が解説していたことは、すでに私は知っていたことだった。ただ、こうした内容を気軽に報道する姿勢は、ニュージーランドのテレビが真面目であるということもあるけれど、日常的なテーマはきちんと普通に取り上げるということなのだろう。
 市民講座にも、「アイルランド講座」があり、4回ほどの講義なのだけれど、たまたま他の講義と重なっていて、今回受講できないのが残念だ。

*1:オーストラリアのシドニーが交易の中心地であったという一つの大きな理由は、1788年にニューサウスウェールズの殖民の中心地であったからだ。ニュージーランドの資源としては、アザラシ、鯨、木材、繊維の原料となったニューサイランなどだ。だから、シドニーからニュージーランドへのアクセスは、歴史的な街道といえる。

*2:ケリケリはワイタンギ近くの町。ケリケリには、古くて歴史的な建物が少なくない。