パーティ、パーティ、パーティ

 今日は大学院の応用言語学の学生数名に呼びかけて、我が家で昼食パーティを開いた。
 韓国人女性のケイト(仮名)、中国人女性のイボンヌ(仮名)がクラスにいるので、私が日本代表として、刺身と寿司をつくり、ケイトがキムチベースの豚肉炒めをつくり、イボンヌが何か作る予定だったのだけれど、課題提出前で彼女も課題作成に追われているため何か買ってくることとなった。
 これに白人女性を呼んで、アジア料理のモルモットにしようというアイデアである。ニュージーランド女性のジュリアン(仮名)が他に二人連れてくる予定だったけど、その人たちもやはり課題に追われていてキャンセルとなった。結局、イボンヌが一人の中国人の友達を連れてきて、私も含めて5人によるアジア料理昼食会となった。
 見ての通り、呼んだのは女性ばかりだが、応用言語学のクラスは、以前は男性もいたのだけれど、今現在は、男性はなんと私一人だけである。私は英文科だったから、その頃から女性が学部生の大半を占め、女性が大体80%だった。コトバを学ぶ学部というと、やはり女性が主流のようだ。
 応用言語学は課題提出が二日後に迫っていて、みんなは一週間くらいかけて、ほとんど終わっているようだった。私は、構想は練ったけれど、明日一日で仕上げようという無理な注文なのだが、期日間近にならないとやらないのは、これまたいつものこと。
 応用言語学の生徒たちなので、今回の課題である「時制」「アスペクト」や「受動態」の話で盛り上がる。応用言語学の授業中に交流する時間も毎回あてがわれるけれど、もっと突っ込んでイギリス語を学ぶ際の困難さなどをもっと交流したかったなと思う。
 楽しいパーティだったけれど、パーティをやる度に、みんながいろいろと持ってきてくれるので、一人では食べきれずに困る。ドギーバッグでお持ち帰りを願ったのだが、それでも大量に余ってしまう。パーティもいいけど、残り物、これが困るんだな。
 それにしても、いつも思うんだけど、アジアに位置する日本で、どうして日本人にはアジア人の友達ができないのだろう。これにはいろんな理由があると思うけれど、変だと思いませんか。それに、「国際化」なんて言われている時代に、こんなんでいいんだろうか。いいわきゃないよねと、私は強く思うのだけれど。
 今日はイギリス語の市民講座がある日で、普通なら市民講座を休んで課題に集中しないといけないところだけど、私のニュージーランド滞在の主旨は、いろいろなことを経験することにあるので、応用言語学の課題は全くできあがっていないのだけれど、市民講座に行こうと思っている。
 自分としてはいろんなことに真面目に全力投球しているつもりなのだけど、学生としては、これじゃダメだよね。