「マオリ土地戦争はいつ頃終わったのか」と私はタミハナに質問した。
というのも、ニュージーランドの歴史を読んでいると、マオリの抵抗戦争という意味から当然のことなのだが、あちこち戦争だらけで、一体いつ土地戦争が終息したのか、よくわからなかったからだ。
大抵の本には、マオリの土地戦争終息については、1873年とか、1870年代初頭になっているのだが、よくわからなかったのだ。
タミハナが「マオリ土地戦争は終わっていない」と私の質問に対してきっぱりとした確信にみちた口調に、私は自分の疑問が解けた気になった。うかつなことに、こんな基本的な歴史認識すら私には欠如していた。
そうか、マオリ土地戦争は終わっていないのか。ようやく私には納得できた。
まさにワイタンギ審判所での闘いが、そうではないか。
軍事的な争いではもちろんないけれど、近代的な法的な闘いがあるわけだから、マオリ土地戦争が終わっているわけがない。
タミハナはさらに、マオリは負けたわけでもないと続けたが、そう考えるのは道理というべきものだ。
タミハナとの話で、私はニュージーランド史に関して「アオテアロアとニュージーランド」なのだと、はじめて開眼した。
マオリにも、そして、南の海の島民(South Sea Islander)と自ら呼んでいるヨーロッパ系白人にも、いいニュージーランド人はたくさんいる。一般にキーウィは、素朴で慎み深い人が多い。たとえば、日本のアイヌの置かれた状態を見ればわかるが、先住民マオリの権利保護もずっと進んでいる。けれども、客観的には、「アオテアロアとニュージーランド」という二つの社会が拮抗していると考えるならば、アオテアロア・ニュージーランド理解として非常にわかりやすいのだ。
つまり、マオリにとってここはあくまでもアオテアロアであり続けているのである。
あのヘビー級世界チャンピオンであったモハマド=アリが、ベトコン*1と闘う理由は全くないと言って、徴兵を拒否し、ボクシング界から締め出された話は有名な話だ。つまり、黒人であったチャンピオンは、アメリカ合州国という国家に親近感も信頼感も持ちえなかったのである。若いときに、国の代表としてローマオリンピックで金メダルを取って錦を飾りに故郷に帰っても、レストランの白人の店主に、ここはお前ら黒んぼに食わせる食事はないと言われて金メダルを川に投げ捨てたモハマド=アリにとって、合州国という国は、違和感がありすぎたのだ。
第二次世界大戦中に、日系アメリカ人が、勇敢に戦ったという話も有名だ。
タミハナによると、ここワイカト地方でも、テプエア(Te Puea)というマオリキングの姪にあたる女性が、兵隊として世界大戦に貢献することは拒否すべきと言ったらしく、ニュージーランドでワイカト地方は、世界大戦に最も消極的なマオリのグループの一つだったという*2。
マオリからしたら、自分達の戦争は、まさにここアオテアロアの土地戦争にある。なんで、関係もない世界大戦に参戦しないといけないのか、これはあなたたちの戦争ではないのかという気持ちだったに違いない。
ここ数日このブログを使って、「ニュージーランド物語」の最初の部分を訳してみたのは、マオリにとってのアオテアロアとは何だったのかということをはっきりさせたかったからである。