それは、フライフィッシングは、キープするとすれば、殺生になると遅まきながら私は初めて自覚したからだ。
タラウェラ湖では、自分で作ったフライで自分のキャスティングで釣り上げたとはいえ、フライを選んだのもフライををつけてもらったのも師匠にやってもらったし、ネットで取り上げてもらったのも師匠だった。ただ、そのときは同じ教室の生徒どおしと教師と生徒の盛り上がりがものすごくあった。実際私も含めて四人は、車の中で大喜びだった。私が嬉しいと言うと、僕もだよという仲間との連帯感があったのだ。
今回は全てを自分でやったから、経験の密度が今回ほど強いものはない。そこで学んだことが、ゲームフィッシングといっても、やはり殺生であるということだ。
先に書いたように、鱒といっても、肩幅くらいもある魚である。気分的には、狩猟に近い。これは、大袈裟にいえば、闘いだ。
仲間と釣っているときは喜びがあるが、個人で釣りをするときは、私のような小心者にとっては、大きな鱒釣りは精神的に結構しんどいことを知った。