マッケンジーホステルでの三日目の朝食

箸というあだ名の「血債の塔」

 マッケンジーホステルで三日目の朝を迎えた。
 朝飯でよく一緒になるアフリカ人と今朝は話をしてみたら、自分はナイジェリアから来ていると彼は言った。
 私がアフリカのことを何も知らないだろうと推測したのであろう。事実アフリカについて私は無知なのだが、彼は、アフリカでは、南アフリカとナイジェリアが2つの主な国だと言った。
 私はアフリカの地図を大雑把に指で書いて、ネルソン=マンデラとスティーブン=ビーコ(Steve Biko)の南アフリカ象牙海岸や、その昔、旱魃(drought)問題で生徒と一緒にエチオピア大使館に出かけたことがあるという経験談を話した。私は好きな音楽家の一人であるセネガルのユッスー=ンドゥール(Youssou N’Dour)の話をして、彼のことを知っているかと聞いた。彼は、名前は聞いたことがあるけれどよく知らない、ユッスー=ンドゥールはフランス語系だろうと言った。
 彼に私は次のような話をした。
 例えばケニアというと、平均的日本人のイメージは、キリンやライオンなどの野生の動物のイメージしかないけれど、近代的なビルが建ち並ぶ都会に住むケニア人は動物など見たことのないものもいる。つまり、私たち日本人は、アフリカをステレオタイプ(偏見)で見ていると。
 彼は、それは仕方がない。大体世の中そんなものだと言った。
 彼はこれまで40カ国くらい回っているという。アメリカ合州国のボストンに7年間住んだこともあり、ボストンがお気に入りのようだ。
 学生時代に芝田進午氏の書かれた「人間の権利―アメリカ革命と現代 (1977年) (国民文庫〈現代の教養〉)」に触発され、アメリカ独立宣言の思想性に感銘を受けた私はその書籍を土台にして拙い劇を書いたこともあり、ボストンは、私も若いときに初めてアメリカ合州国に滞在した際に、フリーダムトレイルを回ったことがある。
 イギリスの13の植民地時代、アメリカ合州国が独立のために、血気盛んなボストン人(Bostonians)はボストン茶会事件(Boston Tea Party)を引き起こした。だから、ボストン虐殺事件(Boston Massacre)や茶会事件の地などを、興味深く回った経験があるのである。
 各国に入る際にはビザの問題があり、日本もむずかしい国のひとつだと彼は言った。
 賃金だけではないが、日本は魅力的な国だという。
 日本では、われわれは常に日本語を話していて、英語は通じないと言うと、彼は、英語がよく通じないのは、日本とフランスくらいだろうと言った。