優れた生徒集団による整然とした組織的「抗議行動」

amamu2006-04-19

 東京新聞に、「生徒450名座り込み*1
 法政一高」という記事が掲載されていた。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20060418/eve_____sya_____000.shtml
 また毎日新聞でも同内容が報道されている。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/wadai/archive/news/2006/04/20060419ddlk13040019000c.html
 東京新聞によれば、「茶髪禁止など校則が強化されながら、学校側から十分な説明を受けていないのが不服として、東京都武蔵野市吉祥寺東町三の法政大学第一高校(森田勉校長、生徒七百五十八人)の二、三年生約四百五十人が十八日朝、校庭に座り込み、学校側に抗議した」とのことだが、ことは茶髪やピアスの問題ではないのだろう。まさに生徒が要求しているように、学校から十分な説明を受けずに、一方的に、自由でない学園にさせられてきているということが問題の本質であるに違いない。
 学校側は「ゲリラ的なやり方ではなく、正規の手続きをとってほしい」とのコメントを寄せたようだが、こうした発言をどのように評価したらよいのだろうか。
 「何の説明もないまま校則が厳しくなっており、自由な校風が失われる前に何か行動を起こしたかった」という生徒の発言にうかがえるように、自由な学園の伝統をもつ学校が、生徒の意見に耳をかさずに、上意下達に伝達するだけの民主的でない学校運営をやり始めたということが根本原因ではないのか。生徒はそこに納得できずに「抗議」しているのではないか。
 だとしたら、学校側の「ゲリラ的なやり方ではなく、正規の手続きをとってほしい」とのコメントは噴飯ものだ。
 それにしても、さすがに「自主・自律」の伝統を誇る法政一中高の生徒会であると、今回の東京新聞の報道を読んで、私は深く感心させられた。
 今日のような時代閉塞の時代状況にあって、自分たちの頭でモノを考え、整然と組織的な行動をとって、自らの主張をアピールした法政一中高の生徒会は、大変優れた生徒集団である。こうした品性の高い生徒集団が育つ法政一中高は、真に教育的で、優れた学校のひとつであると言えるだろう。
 問題の深刻さは、こうした学校らしい学校や優れた生徒会が、日本に本当に少なくなってしまったことだ。
 「リーダーシップの発揮」を強調する新自由主義的な教学「改革」信奉者たちは、こうした真に優れた生徒集団を一体全体どのように評価するのだろうか。

*1:この「座り込み」や「抗議行動」という表現だが、法政一高のホームページを見ると、「抗議」「座り込み」ではなくて、「自主的」な「集会」、「生徒の節度を持った整然とした集会」と、校長によって「訂正」・強調されているが、問題の本質として大きな違いはないと考える。