「入試の学部・学科「大括り化」

amamu2012-08-04

 朝日新聞社河合塾が共同で国内の大学を対象とした「ひらく 日本の大学」調査を実施したと8月4日の朝日新聞が報じている。

 報告は多岐にわたっているが、2008年4月の入学生が4年間で退学した学生の「退学率」は、「7.7%」であったという。

 また、入試では、「推薦・AOから一般へ回帰」「入試の学部・学科「大括り化」」傾向になっているとあった。
 「入試の形態・回数を減らすという回答が、国立で53%、公立で38%、私立で35%を占め」、「増加させるという回答(2割弱)」を大きく上回」っていると、金子元久・筑波大教授が述べている。
 また、「学部、学科など、入試を行う単位については「大括り」化をめざすという回答が、国立で63%、私立でも39%に達している」点が注目すべき点として同教授は指摘する。「細分化の方向」という回答は「1割程度にすぎない」という。


 今回の報告と直接関係する話ではないし、これは一般論にすぎないけれど、私は、教育を「サービス」として考え、「顧客」の「ニーズ」に合わせて「細分化」していくという「細分化」の思想に賛成できない。
 それは、ひとつには、学校のマンパワーに限界があり、細分化をしていけばいくほど学校が破綻してしまうことは明らかであるからだ。そうして、ひとつには、教育として大事なことがなされないという論理的帰結を迎えるしかないことになってしまうからである。たとえば入試に熱心になればなるほど、肝心な教育活動がおろそかになってしまう懸念がありやしないか。
 やらなければならないことができずに、やらなくてもいいことをやっているのでは、それは本末転倒である。

 入試についていえば、過度の入試が、入試後の「学力の剥落」の原因として指摘されて久しい。
 入学時が、自分の学力は一番高かったという冗談は、すでに冗談にもならない。
 競争意識から、ある意味で強制をともなった暗記中心の学力がもろいことは、大人たちがよく知っていることではないのか。大人がどれほど学ぶことを楽しんでこれたのか、自己肯定感をもてているのか、幸福に思っているのかが、問われてはいまいか。
 塾などを別にすれば、日本の子どもや大学生の家庭での学びの時間が少ないことも、こうした日本の悲しい現実の反映に過ぎない。


 上記のことと直接関連はしないけれど、児童の権利に関する条約の権利委員会の第3回報告にも次のようにある。

 本委員会は、日本の学校制度が並外れて優れた学力を達成していることを認識しているものの、学校および大学の入学をめぐって競争する子どもの数が減少しているにもかかわらず、過度な競争への不満が増加し続けていることに留意し、懸念する。本委員会は、また、高度に競争主義的な学校環境が、就学年齢にある子どもの間のいじめ、精神的障害、不登校・登校拒否、中退および自殺に寄与しうることを懸念する。