東京に生まれ、区立小学校、区立中学校、そして都立高校で学んだものとして、まず思うのは、都立高校で学びたいという中学生には全員入学を認める(全入)でよいのではないか。あえていえば入学試験(選抜試験)など必要ないのではないかということだ。入試という競争試験で生徒を振り分けるのが当たり前というマインドコントロールに私たちは支配されているが、少子化の時代にあって、子どもたちをさらにもっと大切に扱うことができるのではないか。今後の日本社会では、子どもたちの教育にもっとお金をかける政策をすべきではないかというのが思うところだ。
理想に過ぎるかもしれないが、以上が大前提なのだが、今回、都立高校入試にあらたにスピーキングテストが導入されると聞いて調べ始めてみたら、このスピーキングテストには、さまざまな瑕疵(欠陥)のあることがわかった。入試に求められる最低限の公平さ・公正さも担保できない。さらにこのスピーキングテストは、そもそも非教育的・反教育的な欠点があるとわかり、即刻中止を求めざるをえない性格のものと考える。
私大付属高に長年勤めた英語教師として、稚拙な教育実践ではあったが、リーディングやリスニング、ライティング、やスピーキング指導を担当してきた経験がある。
1989年に始めなければならなくなったいわゆるオーラルコミュニケーション授業への対応では、仕方なしに、母語話者で長年オーストラリアで教師をやってきた同僚教師とのティームティーチングでおこなうことが適切だろうということで資格ある母語話者の教師の提案を受け共同してカリキュラムを作成した。スピーキング評価は、公平性・公正性が担保されるのがむずかしいため、それまで避けていたのだが、母語話者の教師とのティームティーチングで複数の教師による評価でのすり合わせをおこなう、評価の観点を事前に明確にする、評価に関する生徒の事後の疑問にも答えるなどの制度設計により、生徒の発話を励ます評価によるスピーキングテスト実施に踏み切った経験がある。
さて、今回、都立高校入試にスピーキングテストが導入されるということで、すでに登録が始まり、11月にスピーキングテストが実施される予定になっている。
これらに生徒・保護者は対応せざるをえないわけだが、このテストは、入試全体の配点からすると、一回のスピーキングテストのわりにその比重がものすごく高い*1。その比重の大きな点数によって順位の逆転も起こりえる*2。
であれば、英語を得意とする生徒は、このテストにたいする対策を集中することになるだろう。このテストは、一企業であるベネッセに丸投げだから、似て非なるテストといわれるベネッセのGTECを集中的に受験することになるだろう。その受験料は9720円だという。公立中学での対策授業は時間が十分とれないだろうから、対策に集中したい生徒は塾に行くことになるだろう。まさにスピーキングテストは、経済格差が教育格差を生む教育均等に反する反教育政策というほかない。
大津由紀雄慶応大学名誉教授によれば、導入されるスピーキングテストモデルはGTECコアというテストにそっくりだという。また、東京の公立中学では、民間試験なので当たり前の話なのだが、GTECコアに取り組んでいる学校と取り組んではいない学校とに分かれるという*3。これでは取り組んでいる学校のほうが有利に決まっている。教育的云々というより、これは差別的ではないのか。
また未受験者の対応にも欠陥がある。スピーキング力をはかるというのに、スピーキングテストを欠試したら、スピーキングの試験以外からスピーキングの点数を見込むという。となれば、対応不十分な受験生や不得意感をもつ受験生は、欠席することも視野にいれて対策のひとつとして検討するのではないかとささやかれている。となればこれはスピーキング学習に対する動機づけにもならないし、導入される入試政策自体が教育破壊を引き起こす原因となってしまう。公立中学3年間の英語教育のパフォーマンステストも、入試対応をしなければと脳裏に引っかかって豊かな英語教育をしたいと望む教師の障害となるだろう。
先に、生徒の発話を励ますスピーキングテストの実践を紹介したが、公立中学校の英語教育においても、現在パフォーマンステストというのが実施されていると聞く。おそらく、採点基準のすり合わせや、生徒から評価に対する疑問がだされれば、生徒に寄り添い、フィードバックとしてていねいに説明していることだろう。生徒の発話を励ますスピーキングテストは、生徒を励ます教育評価として、点数化も認められるだろう。しかし、これが1点をあらそう現状の入試ではどうのなのかというのがひとつの大きな論点だ。
まず、比重の大きいスピーキングテストでは、合否に大きな影響を与え、合否の逆転も起こりえる。
しかし、スピーキングテスト評価の客観性・正確性はどうなのか。精度が求められるにもかかわらず精度を求めることはそもそも不可能だろう。それが、8万人ともいわれる受験生を評価するとなれば、公平・公正な評価は可能なのか。現場の教員であれば、100%不可能というだろう。
さらに、生徒の発話を励ますスピーキングテスト(公立中のパフォーマンステスト)の場合、教師の資格・能力・責任は、はっきりしている。生徒が自分のスピーキングテストは何点だったのか、疑問があれば、聞くことができるのが普通だ。A君は何点で、B君は何点で、自分は何点だというのも、生徒が聞く気になれば、わかるだろう。評価者(教師)の資格・能力・責任は、はっきりしているといえる。ところが、今回の入試では、それが全くの闇の中になっている。さらに、フィリピンという外国で採点されるというのだが、それはどのような資格・能力・責任において実施されるのか。これまた闇の中なのである。これはすでに教育とか評価とか、全く成り立たない世界ではないのか。教育的とはとても言えない。公平・公正でもない。海外に丸投げというのであれば、評価者側の主体性も発揮できていない。自前でやらず、知らない他者に任せるなど、無責任で自虐的ですらある。外国にまかせるという意味では、植民地的ですらあると言わざるをえない。
これはすでに書いたことだが、そもそも、話すちからを評価することは難しい。シェイクスピア研究で有名な英文学者・故中野好夫氏は、流暢ではなかったが、深い英語を話したという。ぺらぺら話すが、内容に乏しい発話。訥々とではあるが、深い内容を話す発話。こうしたまさに人格に直結する話すちから(表現するちから)を評価することほど、難しいことはないだろう。まさに地球時代にあって、自律的な人間を育てなくてはならないのに、生徒の個性を慎重に評価しないというのは時代と逆行している。こうしたことを考えるとき、母語の影響の多い・少ないをひとつの基準として評価するというが、時代感覚からずれていると言わざるをえない。
つまり、スピーキングテストは、内容的に制度設計上、入試に不向きということだ。
なおかつ、わけのわからない採点者に丸投げして、スピーキングテストの点数が返され、それが総合点に上乗せされ順位の逆転現象も起こり合否が決まることになる。
あらたなスピーキングテスト入試など必要ないのではないか。理想に過ぎるかもしれないが、冒頭でも書いたように、都立高校で学びたいという中学生には全員入学を認める(全入)でよいのではないか。入学試験(選抜試験)など必要ないのではないか。入試という競争試験で生徒を振り分けるのが当たり前というマインドコントロールに私たちは支配されているが、少子化の時代にあって、子どもたちをさらにもっと大切に扱うべきではないか。それでも競争入試が必要(必要悪)とするならば、せめて、公正・公平にやるべきだろう。最低限の責任が担保できないのであれば、子どもに迷惑をかけるだけのスピーキングテストなど、即刻中止にすべきと思う。
以下は蛇足である。
いまは8月。大変おかしなことに、11月実施というのに、都立高校の先生方にはほとんど知られていないようだ*4。都立高校で展開される授業にとってスピーキングテストが必要不可欠、とりわけGTECのようなスピーキングテストが必要不可欠というような要求・動機・必然性があるというような情報は聞こえてこない。
つまり、中学校の教育と高校の教育との接続が全く考えられていない制度設計になっている。こうして教育的とはいえない理由が次々にでてくるスピーキングテスト。
そのほか、11月27日実施・1月中旬の結果報告*5という制度設計は、結果が出るのが遅く、時期的に適切な時期とはいえない*6。現場の状況が全く考慮されていないと言わざるをえない。
他にも、問題だらけの*7スピーキングテストだが、それでもゴリ押ししようとするのは、まさにこれが教育から出発したテストでななく、このテストが「政治の力」によるものなのではないかとの邪推を否定できる材料がない。ベネッセという企業への文科省からの天下り。それによるベネッセと文科省の癒着。ベネッセと元文科相との蜜月関係はないのか。実際、民間英語テスト導入という教育政策の流れによって、英検受験者数も増え、GTECも倍増したといわれているが、英語力があがったいうデータは聞いたことがない。
教育的でない、公平・公正でないスピーキングテストの都立入試への導入はすぐに中止すべきものと考える。
*1:英語だけ科目点である23点にスピーキングテスト分の20点が加算される。また、科目の内申点を1点上げる取り組みの努力に比して、1回数分間のスピーキングテストで得る点数は安易ともいえるほど比較できない。学力論として異質なカテゴリーのものを合点していることになる。
*2:新制度導入の場合、影響は最低限にして導入するのが慎重な導入の仕方で教育的な導入方法と思うが、導入する企業からすれば、比重が大きいほうが望ましいと考えるのは明らかだ。
*4:2022年8月18日「都立高校入試への英語スピーキングテスト導入見直しを求める夏の市民大集会」参加の都立高勤務の先生の発言。
*5:結果といっても総合点しかわからず、分野別得点などはデータとして発表されないという。
*6:進路を決める三者面談がおこなわれるのは12月であり、その時期に試験結果が出ていないなど、欠陥がある。
*7:人を介在したスピーキングテストではないため、タブレット使用の問題。音声の漏洩の問題。二部に分ける構成の問題など、技術面でも多くの問題が指摘されている。その他、2022年8月18日「都立高校入試への英語スピーキングテスト導入見直しを求める夏の市民大集会」での保護者の話では、都教委のペーパー配布くらいで、正式な説明会は開かれていない。個人情報漏洩の危険性。