初めて木下惠介監督の「女の園」(1954年)を観た

女の園

 以前から観たいと思っていた木下惠介監督の「女の園」を観た。
 1954年は、キネマ旬報によれば、第一位「二十四の瞳」、第二位「女の園」、第三位「七人の侍」というラインアップになっている。
 言うまでもなく、第一位と第二位が木下惠介。第三位が黒澤明監督の作品である。日本映画の黄金期である。
 おそらく、今なら第三位の「七人の侍」が順位を上げて、世界的にも評価が高いに違いない。
 「二十四の瞳」はすばらしい古典と思っていて個人的に大好きな作品だけれども、「七人の侍」も凄いと俺も思っている。そうであるならば、第二位に評価された「女の園」がどういう映画なのか、気にならないほうがおかしいというものだ。
 今回、「女の園」を初めて観たが、これはなかなかの映画である。それと同時に、現在あまり評価されていないこともわかる気がした。逆にいえば、当時の平均的日本人の政治的教養の高さを評価すべきなのかもしれない。現在なら、鑑識眼がないために評価されないだろうと想像に難くないからだ。それほど、当時、劇場に詰めかけた日本人の映画を観る目、政治的直感の確かさは否定すべくもない。あるいは、映画の鑑識眼とは別に、当時の政治状況のアクチュアリティが映画の評価に対しても、あと押ししたと言えるのかもしれない。
 それはともかく、木下惠介監督の、何物も恐れない創造的精神。つくりたい映画をつくる精神はわかる気がした。その意味で、これは不当に評価の低い作品であることに違いない。
 ところで、同じ1954年の封切り作品であるのに、高峰秀子が「二十四の瞳」と「女の園」に、当然のことだが、違ったキャラクターでそれぞれ見事に演じきっていることに驚いた。
 それと戦後民主主義の高揚期であるにもかかわらず、寮生活の手紙の検閲だとか、恋愛における両性の自由の問題だとか、自由の実現が簡単でないことに嫌というほど気づかされる。
 やはり、どんな時代状況であろうとも、優先順位を間違えてはいけない。人は”常識”などというものに惑わされて判断を間違うことがあるということに気をつけなければいけないと気づかされた。
 子どもの意見表明権にしてもそうだ。
 映画の最後のほうで「ほんとに子どもがかわいかったら、もっと素直に子どもの気持ちをくんでやんなさいよ。いい歳をして」というセリフがつきささる。
 高峰秀子高峰三枝子久我美子岸恵子田村高廣東山千栄子らの演技が光る。
 1954年の作品。