「今問う 漱石の個人主義」

amamu2014-11-26

 漱石の「私の個人主義」について、昨日の朝日新聞東京大学大学院の小森陽一教授がコメントを寄せていた。
 漱石の有名な学習院での講演「私の個人主義」は、ちょうど100年前の昨日11月25日におこなわれたという。

 西洋人の借り物でない文学を確立するための、たった一人の挑戦でした。この経験から、他人本位ではない、漱石の自己本位に基づく個人主義が形づくられていきました。

 小森教授の指摘を読んで、漱石の「個人主義」、そしてそのあたらしさは、現行憲法の第13条「すべて国民は、個人として尊重される」につながっているとの思いを強くした。

 人とのつながりはもちろん大切。ただ時に同調圧力に変わります。そのことを知っていた漱石は、まず他者の自由を認めようとした。そのためには淋しさに耐えることも引き受けたのです。

 こうして、漱石の「個人主義」は、きわめて近代的なもので、群れることなく個の確立を前提としているから、日本人にとっては淋しく少々物足りなく感じるに違いない。まさに小森教授が言うように、漱石のいうところの「淋しさ」に注目せざるをえない。

 「個人主義なるものを蹂躙しなければ国家が滅びるような事を唱道するものも少なくはありません。けれどもそんな馬鹿気たはずはけっしてありようがないのです」と漱石は喝破する。小森教授は、この漱石の言葉を評価する。

 戦時社会にあって、勇気のある発言です。本当の個人主義は利己主義とは正反対で、他者の人権を保障することだと考えたから、漱石はぶれなかったのでしょう。

 漱石の唱えた個人主義はいまだ未完。100年たっても、その言葉の真意を問い続ける価値があります。

 漱石の「私の個人主義」をまた再読してみたい。