「派遣切り、声上げても…「なぜ解雇、10年間説明ない」」

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 以下、朝日新聞デジタル版(2018年12月28日21時20分)から。

 リーマン・ショックをきっかけに「派遣切り」され、10年がたった今も会社に謝罪や説明を求め続けている人たちがいる。

 「とにかく謝罪してほしい」

 今月中旬、東京駅近くにある三菱電機本社の前で40代の女性は訴えていた。2003年12月から三菱電機名古屋製作所に派遣され、パソコンやテレビの周辺機器を作るラインで働いていた。製品のケースの中に基板を組み立て、検査もした。ラインでは、正社員も一緒に働いていた。

 08年夏ごろから、隣のラインで人が減り始めたが、女性のラインの仕事量は減っていなかった。ほかのラインから移ってくる正社員もいたが、正社員や直接雇用の期間工に仕事を教えることがあり、職場で必要とされていると思っていた。12月初めには、契約更新を打診された。

 派遣会社の担当から雇い止めの通告を受けたのは、12月中旬。突然だった。「いくら仕事ができても、派遣は弱い立場なんだ」

 派遣会社が用意していた退職届にサインし、09年1月に職場を去った。

 その後、三菱電機を相手に直接の雇用関係があったことの確認を求めて裁判を起こした。裁判所は女性の主張は退けたものの、偽装請負や3年を超えて派遣を受け入れていたなどの派遣法違反があったことは認めた。

 女性は「派遣法違反があったことは裁判でも確定している。間違ったことをされた。謝罪してもらうまで、声を上げ続ける」と話す。

 日産自動車で働いていた阿部恭さん(55)は、85年に工学部デザイン学科を卒業し、大手自動車メーカー勤務をへて独立した。昼夜を問わず働いたが、00年に身体を壊し、一時仕事を休んだ。日産に大手派遣会社から派遣されて働き始めたのは、03年9月だ。

 職場は神奈川県厚木市のテクニカルセンター。最初は簡単な仕事だったが、経験者ということで徐々にデザインや企画も任され、正社員と同じような仕事もこなすようになった。

 リーマン・ショックも「自分は関係ない」と思っていた。派遣会社の担当者とは次の契約の話をしていたところだったからだが、それでも「派遣切り」された。

 納得できないと説明を求めたが、日産の人事担当者は何も説明しない。ほかに日産で働いていて雇い止めになった労働者とともに、雇い止め無効を求めて裁判を起こした。最高裁まで争ったが敗訴した。

 裁判とは別に、神奈川県労働委員会に救済命令を申し立てた。日産に団体交渉に応じてもらうためだ。今年2月、神奈川県労働委員会は団体交渉の拒否は不当労働行為にあたると判断した。だが、日産は団体交渉に応じていない。

 「なぜ自分が解雇されたのか。10年間説明を受けたことはない」。阿部さんはいう。(編集委員・沢路毅彦)