ベトナム人のグエン・ドク・カインさん(25)が初めて日本に来たのは、2015年9月。高校を卒業してまもなく、「稼げると思ったし、日本に関心があった」と、技能実習生に手を挙げた。

 盛岡市の建設会社で働きながら「建設機械・土木」の技術を学ぶという触れ込みだった。実習生の受け入れ窓口である監理団体の代表からは「仕事は簡単。だれでもできる」と説明されていた。

 カインさんがまず連れて行かれたのは、福島県郡山市。そこで5カ月間、住宅地の土壌をはぎ取ったり、側溝を洗ったりした。まさか、東京電力福島第一原発事故の後始末である除染作業を自分がやらされているとは夢にも思わずに。

 その後、岩手県釜石市で住宅解体の作業をした後、16年9月に再び福島県に入った。一部が避難指示区域に指定されていた同県川俣町で、国直轄の建物解体工事に従事した。

 スコップで落ち葉などを集めながら、心が騒いだ。住民の姿が見えない町。マスクをつけないと近づけない仕事場――。

 「特別手当」を渡されたとき、カインさんはさすがに怖くなって現場の監督者に聞いた。

 「親方、これは何ですか?」

 「危険手当だ」

 「どんな危険があるんですか?」

 「嫌なら帰れ」

 結局、働き続けた。日本に行くため、「送り出し機関」と呼ばれる現地の人材派遣会社に160万円払っていた。100万円超は銀行から借りた。ベトナムでは平均年収の数年分に相当する借金を返さなければならなかった。日本での手取りは月約12万円。ほかの会社に移ろうにも、実習生は自由に勤務先を変えることを禁止されている。

 17年に入ると、福島県飯舘村山形県東根市仙台市と転々とし、3月から再び川俣町で約2カ月間、建物解体作業をした。

 その直後、知りあったジャーナリストから「除染は危ない」と説明され、放射能のリスクに身震いした。11月、会社の寮を飛び出し、技能実習生の支援者が運営する郡山市の保護施設に身を寄せた。

 保護施設は2階建ての民家。同じように実習先から逃げてきたベトナム人男女12人と共同生活した。昼間は寝て、夜はテレビでサッカー観戦。そんな日がたつごとに焦りは募った。技能実習生の期間は最長3年(当時)。保護施設に来たとき、残された滞在期間は1年を切っていた。

 「危険な作業だと分かっていたら、絶対に日本に来なかった」。激しい後悔がわき上がった。

 日本で働く技能実習生は約30万8千人(18年10月)にのぼる。受け入れ企業の多くが実習生に感謝し、日常生活にも気を配っている半面、実習生に対する賃金の未払いや超過勤務などの不正行為も後を絶たない。

 多くの実習生には、渡航のためにつくった借金の返済というプレッシャーがあり、片言の日本語で労働者としての権利を十分訴えられない。こうしたことも、人権軽視の労働の温床になっているとされる。

 NPO法人「移住者と連帯する全国ネットワーク」代表理事の鳥井一平さんは指摘する。

 「(実習生を雇う)企業の社長はもともと気が良い人が多い。でも時間がたつと『帰国させられるのが怖い彼らには何をやってもいいんだ』と増長し、パワハラセクハラに走る。人をゆがませる奴隷労働の構造問題がある」

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 何も知らされず除染作業に従事させられたベトナム人男性。その経験から、外国人技能実習生の問題を2回にわたって考えます。(機動特派員・織田一)

 

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